鉄砲伝来"前に火器存在/中城城跡 " (琉球新報 2001年1月4日)
琉球王国には種子島の火縄銃伝来(1543年)よりも100年早く、中国製の鉄砲の一種「火矢(ヒャー)」が伝わっています。以下のサイトで発掘された弾丸の写真を見ることが出来ます。
琉球軍の武器》火器 - グスクの海
創作小説のサイトですが、資料用のページでは現物が紹介されています。火矢(ヒャー)で使用された瑚弾、鉄弾、石弾の写真と、大元の中国の火器の画像が載っています。以下はその中国の火器の発射動画です。
火矢(ヒャー)は銃身が短く、照準も付け難いので、命中精度も殺傷能力も火縄銃に比べると大きく劣ります。しかし発射音による威嚇効果は高く、そしてそれは戦場を支配する重要な要素でした。当時の銃火器に対する軍隊の考え方は、火縄銃ですら銃弾の殺傷効果よりも発射音による威嚇効果の方が重要だと認識されていました。
琉球・沖縄史年表 (Bali & Okinawa チャンプルー)
こちらの年表で確認すると、琉球は15世紀中頃に戦乱の時代に終止符が打たれ、1429年に琉球統一が為されます。その後暫くクーデター発生などの不安定な時期を迎え、1477年に尚真王が即位した頃に体制が安定しています。尚真王は翌1478年に刀狩りを行っており、秀吉の日本統一が1590年、刀狩が1588年なのと比べても、琉球の方が日本本土よりも約100年早く統一と刀狩を先行して行っていた事が分かります。
当然の話ですが「刀狩」とは武器を捨てて平和な国家を築こうとするものではありません。武器保有を為政者側のみに限定し、民衆の反乱を防ぐ政策です。それは日本本土も琉球諸島もやっていることに変わりはありません。ただ、100年ほど施行の時期がズレていただけです。
しかも尚真王が1478年行った「刀狩り」とされるものは、実は刀狩という意味合いのものでは無かったのではないかという話もあります。
武器のない国琉球?(1):目からウロコの琉球・沖縄史
琉球といえば、「武器のない国」としてイメージされる場合が多いと思います。平和を希求する尚真王が武器を捨て世界にさきがけて“非武装国家宣言”をしたとか、ナポレオンが武器のない琉球の話に驚いたというエピソードも、これらを根拠づけるものとしてよく引き合いに出されます。
しかし歴史を詳しく調べていくと、事実は全くちがうことがわかります。まず尚真王は武器も廃棄していないし、“非武装国家宣言”も出していません。刀狩りの根拠とされた「百浦添欄干之銘」(1509年)という史料にはこう書かれています。
「もっぱら刀剣・弓矢を積み、もって護国の利器となす。この邦の財用・武器は他州の及ばざるところなり」
刀狩り説は、これを「武器をかき集めて倉庫に積み封印した」と解釈していました。しかしこの文を現代風に訳すると、何と「(尚真王は)刀や弓矢を集めて国を守る武器とした。琉球の持つ財産や武器は他国の及ぶところではない(他国より金と軍備を持っている)」という意味になるのです。尚真王は武器を捨てるどころか、軍備を強化しているのです。
民衆から武器を取上げて反乱を防ぐ目的よりも、中央の軍隊を強化する目的の意味合いが強かったのではないか、とする考察です、歴史の資料を素直に読めば「武器を集めて廃棄ないし封印」するのではなく、武器を武器として利用する為に大量に掻き集めた、とする方が自然な解釈になります。或いは両方の意味合いがあったのかもしれません。
こうして戦乱の時代から統一を果たした琉球王国は最盛期を迎えますが、1609年に薩摩藩が侵攻、支配下に置かれます。薩摩藩の島津勢は3000人の兵力を船に乗せて差し向け、奄美大島を占領した後に沖縄本島に迫りました。この時、琉球王国の軍勢は那覇港を守る屋良座城、三重城の2つの沿岸城砦(海上砲台)から石火矢(ブリーチローディング式の大砲)による砲撃を敢行、島津勢に正面からの上陸を断念させることに成功しています。この砲台は元々、倭寇の襲撃に対抗する為のものでした。実際に交易が盛んであったが故に必要とされた火力装備だったのです。
石火矢 - Wikipedia
CANNON JOURNAL - Compilation Of Info On Bronze Asian And European Type Cannons (1500 - 1800's)
上のサイトの真ん中にある「Detailed drawing above showing parts of an Asian Breech Loading cannon.」というサンプル画像で、ブリーチローディング式の青銅製大砲「石火矢」の構造がよく分かります。大きな赤文字で「Sample」と描かれてありますが気にしないで下さい。(分かりやすい画像がこれしか見付からなかった…)
三重城 〜那覇を守る台場から望郷の場所へ〜
こちらは地図で屋良座城、三重城の位置関係が分かります。海上に突出した島に砲台が据え付けられた構造で、長い連絡路で陸地と繋がっています。
海上砲台からの砲撃を受けて一旦退避した島津勢は、迂回して今帰仁村と読谷村から上陸、首里城に迫りました。一旦着上陸されてしまうと火力と練度の差はどうにもならず、沖縄本島での戦いは約10日で決着が付きました。なお首里城は無血開城されますが、これは首里城が戦闘用の城砦ではなく宮殿に過ぎなかった為、篭城しても持ち堪えることが出来なかったからです。
なお、薩摩藩は琉球王国を支配下に置いた後、本格的な武装解除を行いませんでした。但し鉄砲、大砲の保有は禁止されています。
武器のない国琉球?(2):目からウロコの琉球・沖縄史
薩摩藩は琉球に軍隊を常駐させることはありませんでしたが、有事の際には薩摩からただちに武装した兵士たちが派遣されました。つまり琉球は近世日本の安全保障の傘に入っていたのです。琉球は薩摩藩の支配下に入っていたので、当たり前といえば当たり前です。
また琉球の貿易船が出港する際には、薩摩藩から貸与された鉄砲や大砲を装備して海賊の襲撃に備えていました。琉球国内では鉄砲以外の武器の個人所有は禁止されていませんでした。その証拠に、戦前には士族の所蔵していた武器の展覧会が開かれたこともあります。
しかしなんと薩摩藩から鉄砲と大砲をレンタルしていたそうなのです。海賊退治に必要最低限の火力装備は認められていたみたいですね。これには少し驚きました。
そして琉球王国に対する幻想はこうして広まったのではないか、とする考察も参考になります。
琉球の「武器のない国」というイメージはどのように作られ、広がっていったのでしょうか。それは琉球を訪れた欧米人の体験談が、19世紀アメリカの平和主義運動のなかで利用されていった経緯があります。好戦的なアメリカ社会に対し、平和郷のモデルとして自称琉球人のリリアン・チンなる架空の人物が批判するという書簡がアメリカ平和団体によって出版され、「琉球=平和郷」というイメージが作られました。このアメリカ平和主義運動で生まれた琉球平和イメージ、史料の解釈の読み違いから出た非武装説に加え、さらに戦後の日本で流行した「非武装中立論」や「絶対平和主義」が強く影響して、今日の「武器のない国琉球」のイメージが形作られていったのです。
「武器のない国琉球」のイメージとは、逆輸入として持ち込まれた幻想だったという事です。リリアン・チン書簡なる一種のプロパガンダが、100年以上経った今になっても影響し続けているのは興味深い話です。
「目からウロコの琉球・沖縄史」ブログ主の「とらひこ」氏は本を出しているので、紹介しておきます。
目からウロコの琉球・沖縄史―最新歴史コラム
誰も見たことのない琉球―〈琉球の歴史〉ビジュアル読本
今回、琉球の火力装備について調べるにあたって見つけてきたネット上の資料の多くが「とらひこ」氏の手によるものです。「グスクの海」に掲載されている写真も、中国式火砲の動画もです。実際「目からウロコの琉球・沖縄史」ブログを読んでいっても感心する事しきりで、これだけ面白ければ著作の方も質が高いのは間違いないでしょう。
剣術か何かの本で公に武器を持てないから隠し武器が流行ったみたいな記述を見た気がするが、鉄砲以外禁止されてなかったら気のせいか間違いかなぁ
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月28日 23:55:50
民間人に対して、武器の携帯(平時から持ち歩く事)は禁止されてる。ただ保有については別だった。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:03:57
日本より火薬の伝来が早いってのは、単純に中国に近かったからだと予想。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:10:04
空手のサイトにこんなのがあったよ。
http://ryushinkan.jp/
>武器を取り上げられた人々が、薩摩藩に対抗するために空手を発展させたとする説が、従来、歴史的事実であるかのように繰り返し言及されてきた。しかし、禁武政策と空手発展の因果関係については、近年、これを疑問視する研究者が少なくない。特に薩摩藩の実施した禁武政策(1613年の琉球王府宛通達)は、帯刀など武器の携帯を禁じただけで、その所持まで禁じたものではなく、比較的緩やかな規制であったことが判明している。この通達は「一、鉄砲の所持禁止。二、王子・三司官・士族の個人所有武器の保有は認める。三、武器類の修理は在番奉行所を通して薩摩にて行う事。四、刀剣類は在番奉行所に届け出て認可を受ける事」という内容であり、武器の所持(鉄砲を除く)やその稽古まで禁じるものではなかった[6]。実際、薩摩侵攻後も、琉球の剣術、槍術、弓術などの達人の名は何人も知られている。また、素手で鉄砲や刀などの武器に対抗するという発想そのものが非現実的であり、このような動機に基づいて琉球士族が空手の鍛錬に励んだとは考えられない、との指摘もある。それゆえ、禁武政策による空手発展説を「全く根拠のない巷間の浮説」(藤原稜三)と一刀両断する研究者もいる。
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ウハァ・・・今まで信じてきた事が、実は全然違ってただなんて・・・
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:10:14
消したほうが良いのでは
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:13:46
動画がパンツァーファウストみたいだった
たしか琉球空手は波揺れの激しい船上での白兵戦を想定して進化したとか
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:22:14
あちらのリンクをそのままコピペして気付かなかったです。消しておいたほうがよいですね。
ところでコメント番号4のリンク先、もの凄く重要な事が書かれているのに、何だろこれ・・・検索向け? 何処かにオリジナルがあってそれを丸ごと隠すように転載してるんだろうか。
Posted by JSF at 2008年10月29日 00:27:52
>帯刀など武器の携帯を禁じただけで、その所持まで禁じたもの
>ではなく、比較的緩やかな規制であったことが判明している。
ちょっとこれ「目からウロコ」状態なんですけど・・・携帯は禁止だけど所持はOK?
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:31:32
空手道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%89%8B%E9%81%93
そしてウィキペディアの記述の根拠は「儀間真謹・藤原稜三『対談 近代空手道の歴史を語る』43頁だそうだ。
調べてみたよ。なんと22年前の本だった。ってことはそんなに昔から判明していた事実なのに、真実が広まって無いってことなのか・・・
>一、鉄砲の所持禁止。
>二、王子・三司官・士族の個人所有武器の保有は認める。
>三、武器類の修理は在番奉行所を通して薩摩にて行う事。
>四、刀剣類は在番奉行所に届け出て認可を受ける事。
薩摩藩の統治政策は意外と緩かったんだ・・・
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:39:35
持ち方がパンツァーファウストに似てるけど、それだけ。なんか見た目は派手だけど、それはガスが無意味に漏れているだけだろうし。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:44:00
>リリアン・チンなる架空の人物が批判するという書簡がアメリカ
>平和団体によって出版され、「琉球=平和郷」というイメージが
>作られました。
つまりプロ市民の手によるデッチ上げですね、分かります。
しかしリリアン・チンだなんて名前の琉球人なんて有り得ないだろ・・・
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:47:10
[編集]とか[4]とか入ってますが。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 00:48:37
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:ウィキペディアを引用する
>ウィキペディアにある記事は、著作権法の認める範囲で引用することができます。
明らかに引用の範囲を超えているような。
Posted by 12 at 2008年10月29日 00:53:37
得物が無い時の立ち振る舞いの武術であって身分的に武術自体を学べなかった
黒人奴隷のカポエラみたいなもんではない。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 01:08:22
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 01:16:53
武術自体の修練を禁じる傾向がある。(享楽用の闘士や奴隷傭兵は別)
彼らがいう通り占領政策として厳しい弾圧が行われた場合、空手を含む武術修練そのものが
禁止されるのであり、武器が無いから空手で対抗したとかはかなり変な話だったりする。
要するに、武術収得や武器の所蔵には別に介入してなかった。
必要性の無い日常的な武器の携行は制限されてしかるもの。これを制限した所で反乱時には武器所蔵してるから、
反乱出来る。日常の騒乱対策であって反乱対策にはあんまり関係が無い。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 01:32:15
民兵に好き勝手されるのはもうヤメ、というところまで来れるのは文明のバロメーターになるんじゃないでしょうか
でも民衆は必要だったから新しい力を鍛えて今に伝えている訳で
国栄える処に軍事有り、という見方もできるかもしれませんね
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 01:34:17
これか。
∧_∧ トンファーキ〜ック!
_( ´Д`)
/ ) ドゴォォォ _ /
∩ / ,イ 、 ノ/ ∧ ∧―= ̄ `ヽ, _
| | / / | ( 〈 ∵. ・( 〈__ > ゛ 、_
| | | | ヽ ー=- ̄ ̄=_、 (/ , ´ノ \
| | | | `iー__=―_ ;, / / /
| |ニ(!、) =_二__ ̄_=;, / / ,'
∪ / / / /| |
/ / !、_/ / 〉
/ _/ |_/
ヽ、_ヽ
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 01:36:42
>場所柄考えれば交易で食ってくしかない訳で、海賊対策は必須だったんだろうな。
ところが反戦運動家は「交易が盛んな平和国家、琉球王国」と宣伝する。
しかし実際には交易品を狙って倭寇が攻めて来て海上砲台で応戦、撃退とか、中国の軍用船を払い下げで貰い、海上護衛や海賊狩りに使ったりと、交易が盛んだからこそデンジャラスな毎日を送っていた琉球王国なのであった。
14世紀初頭 この頃から倭寇の襲撃を受け始める。
1430年頃 琉球が久米島を占領した倭寇を撃退。
15世紀中頃 琉球が徳之島以北に勢力を拡大。このとき、喜界島の倭寇を撃退。
15世紀末頃 宮古の首長である豊見親が伊良部島を拠点としていた倭寇を撃退。
16世紀初頭 倭寇の侵略が立て続けに起こる。これに対抗するため、那覇に海上要塞を建てる。
1609年 トカラ列島の倭寇が島津の軍門にくだり、琉球侵略の水先案内人となる。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 02:38:06
これを書いたのは、同じとらひこさんなのか知らんけど、
琉球は軍需物資輸出国だったようですな。
明の使節が一時期大量に琉球の馬と硫黄を買い付けていたようです。
それにしても、海洋国家というか海沿いのところは、海賊との戦いを避けられないようですな。
ヨーロッパでも、ヴェネツィアしかり、ピサしかり。
Posted by 647? at 2008年10月29日 06:56:06
なるほど、アーヴの祖先は琉球の人で、アーヴによる人類帝国は琉球王国が元ネタだったんですね。
Posted by BELL at 2008年10月29日 08:22:27
自らを守る自衛戦力としての武力という意味以外でも
交易の実施の為の武力(相手が拒否した場合に無理やり交易するための武力)は万が一の為を考えると必要ですからねぇ
考えてみれば武力放棄路線なんてありえないですなぁ……
そんなことよりも過酷で知られる薩摩の内政統治方針が思ってたよりも緩かったのが驚きです。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 11:59:42
あ、俺伊良部の出身
知らなかった(;゚Д゚)
こういうの全く教えないよ
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 12:02:32
>14
武道とか格闘技の起源についてはフィクションが入り混じっているので、全てネタとして楽しむのが正しいと思うんだぜ。
御殿手の上原氏の「武の舞」にも、帯刀はできたので剣術はあったように書いてる。実際に御殿手には居合術もあるし。
空手の起源については様々言われているけど、「手」といわれている土着の格闘技があったというのは嘘で、日本の柔術が伝わっていたのだろうとかいう人もいる。それと中拳のチャンポンみたいな感じ。
実際に首里手の名人である松村宗棍などは薩摩で示現流剣術も習って使えたし、存外と本土との交流はあったのかもしれず。
「全国アホ・バカ分布考」を読んでも日本の古い罵倒語が伝わっていたと解るし。今の日本人が思っているよりも、琉球は日本文化圏内だったんじゃなかろうか。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 12:13:08
大学の授業で習ったところでは、
奄美が厳しくて、
王国内がゆるい(奄美よりまし)って感じだったなあ。
奄美は、島津侵攻以降は、薩摩領なので…。
なんか、奄美の島歌の地味さ(?)かげんに
思いをいたすと、なんかわからんでもない
気もするが…
ブルースというか。
Posted by 647? at 2008年10月29日 12:22:28
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 12:28:04
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 12:39:06
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 12:55:22
代わる、左巻きの方にとっての「地上の楽園」である
沖縄もメッキが剥れようとしているのでありますねぇ…
次の「楽園」はコスタリカか?
あそこもメッキが薄くて、ちょっと剥れ掛かってるけど…
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 13:05:50
交易を守るというこができないと貿易国家は成立しないわけで。琉球は国家の規模的に大規模海軍をもつことは不可能だったからこそ、中国の保護を必要としてたしね。
現在のシンガポールなどの貿易立国もそれなりの海軍力を持っているし、間接的にアメリカ・中国などの海軍力によって貿易路が維持されているわけなのになぁ。
軍事力がない国を探し続ける永遠の旅人はどこまでさすらうんでしょうか。
あとリリアン・チンって名前がいかにも「アジアのことをしらない外国人が適当に中国人と自国の名前をつぎはぎして作った名前」で笑える。
Posted by ぽへぽへ at 2008年10月29日 13:12:57
こんなんですかね?>石火矢
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 13:28:17
担当教員の名前をググると、彼女が実に平和的な人物であることがわかります。
http://www.okiu.ac.jp/gakumu/kogigaiyo/gaiyo/i170570000006684.html
http://www.okiu.ac.jp/gakumu/kogigaiyo/gaiyo.html
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 13:29:42
空手で刀持ってる奴にかないっこないわなJK
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 16:26:15
>コスタリカ
確かあの国は常設軍の禁止という形で「軍隊の法人格」を否定しているだけで「軍隊」を否定しているわけじゃないんだよね。
中共と今以て断交中だとか、あんなディープな反共国家もないくらいに反共。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 16:45:11
武器の修理を管理していたとあるが、新造の場合はどれほど厳しかったんだろうか。
後、少し引っかかったのが、士族までの「個人所有は」認められた、という点。
記事本文のリンク先、「目からウロコの琉球史 武器のない国琉球?(2)」を見ると
>たしかに薩摩に征服されてからは、かつてのように琉球王府が自在に動かせるような軍隊はなくなったようです。
軍隊そのものは武装解除されている。
但し、
・交易船の武装は認められた。
・士族以上の「個人的な武器の所有」は認められた(武器を修理する場合は、届出の上、薩摩でおこなう)
これは本格的な武装解除には当たらないのかどうか?完全に武器を消滅させなければ本格的にはならないのか。
Posted by くるりん★ポポフ at 2008年10月29日 18:38:49
ジャングル戦の実弾訓練、通信、トラップの仕掛け方なんかを毎年訓練してるからな
>コスタリカ市民警備隊
憲法第9条の理念を実現した!、と呼ぶのは勝手だが
「国際紛争の解決手段としての軍事力の否定」なんて
コスタリカは一度もした事が無いんですが。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 18:42:47
それ以前に琉球の初期の交易品である馬と硫黄が戦争の道具として中国へ輸出されてたって話。
馬は騎兵に硫黄は火薬に…
これもまた知ってる人は知ってる話。
あんま大きく取り上げられる事はありませんが。
Posted by ハインフェッツ at 2008年10月29日 19:07:31
結局「豊かで軍事力のない国」って存在しえないのではと。
>>リリアン・チン書簡
アイアンマウンテン報告みたいなものか、説得力のあるデマが書かれているという意味で。
そんで、このリリアン・チンがァァァーッ!!
…と叫ぶ人がでるんですね。
>>コスタリカ
そういえば第二次大戦後早々とメリケンと同盟を結んだってぇ話だったっけか?
その国を祀り上げるのは「平和思想」的にいいのかしらん、なんて思ったり。
(ボソッ)
火矢で威嚇してヒャー参ったとするわけですね、理か(ゴシャァッ
Posted by 名無し杭打ち機道見習い at 2008年10月29日 19:20:38
>次の「楽園」はコスタリカか?
私はベネズエラだと思う。あの国の大統領は反米で親共産主義者だからね。
Posted by 90式改 at 2008年10月29日 19:23:17
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 20:49:23
そういやお前さん、沖縄在住だったな。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 20:56:02
日本史における帯刀の許可と同じようなものでは。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 21:03:29
威力誇張されていたのかなぁ(劇中では恐竜みたいな猪を殺したり人間の手を吹き飛ばしてた)。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 21:40:26
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 21:45:58
そうそう。だけど製作スタッフは火矢と石火矢を名前だけ混同していたみたい。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 22:26:39
いくら中国王朝に朝貢して安保体制下にいたからって、無防備宣言なんかできるはずもなく。
こういう平和主義者って名の「リビジョニスト」どもの歴史の歪曲・捏造って怖いねえ。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 22:48:59
それを政治利用しちゃダメだろう。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月29日 23:47:50
元寇の逆襲的意味合いの両面があった様で(福岡や対馬で焼き討ちや虐殺があった為)前期倭寇は日本人が多いが、
前期末期やそれ以降の後期になると殆ど朝鮮人や中国人が倭寇の恐ろしさの威光を利用して名乗ってた。
これらは朝鮮や中国の文献に記録されている。
こうした海賊騒動は数百年単位で続いており、中国に冊封された時も琉球は
倭寇対策での軍事力をあてこまれてる。
仮に琉球に軍事力が無ければ中国はそんな事を命令しないし、
また、日本朝鮮中国と続いた海賊騒ぎで根絶やしにされてる。
沖縄が争いの無い平和な島って触れ込みもカポエラの様に遠洋にあるハワイの話を
沖縄に当てはめて創作したんだろうね。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 00:22:46
>ベネズエラ
あの国って伝統的に容共な土地柄なんですかね?
あの伝説の極左テロリスト、カルロスの故郷だし。
カルロスの父親が福嶋瑞穂顔負けの極左思想の弁護士だった話も有名ですね。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 00:39:40
うん。そうだね。というか、文化関係はものにもよるけど、政治利用はよろしくないよなあ。
ちなみに元武道マニアとして言わせて貰うと、世間に流布している古武道・達人関係の逸話の六割ぐらいは大戦末期の大本営発表並みの信憑性しかなくて、残りの四割程度は砂漠でパスタを茹でるイタリア軍なみの都市伝説と思っていいです。
つまり、信用に値する話はほとんどないです。
Posted by 24 at 2008年10月30日 03:08:35
最近、医療とか老人介護とかで妙にあの国を持ち上げる
動きがあるし…
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 06:31:37
ソマリアの近く(ソコトラ島あたり)で無防備宣言するようなもんだな。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 07:59:00
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 08:09:51
http://www.geocities.jp/mikako0607jp/3rd.html#cuban2
こういうの読むとキューバを参考にしちゃだめだろとしか思えなくなるが。
外向きはともかく、中の実体は本当にこんなんなんだろうな。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 09:06:51
ついこの間決済資金不足をやったような国を楽園とか言うか・・・借金の踏み倒しができるのが楽園の根拠ってか。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 10:23:43
ソコトラ島…何だか聞き覚えのある地名だと思ったら
昔読んだSF小説で日本とドイツが取り合いしていた場所だったんだな。
紅海の入り口にあるので、戦略的に重要な島なのか。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 10:34:32
キューバの経済がうまくいかないのはアメリカの経済制裁のせいだ!ということでその筋の人は納得するんでしょう。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 11:58:22
わたしの周囲(俗に言う左翼や反戦主義者)なんて、そう信じてる、思ってる人は居ませんでしたから。
歴史に造詣が深くなくとも、知識として当然じゃないかなぁと、おこがましくも、思うのですが・・・。
それはさておき、琉球が平和云々はメディアの影響が強いかもしれません。
わたしが子供の頃「世界ふしぎ発見」で「琉球は日本よりも国家統一を終え、刀狩を行った進歩的な平和な王国」とか何とか言ってましたからー。
ウロ覚えで、当てになりませんが
「(琉球の)武士は刀の変わりにある物を持っていました。それは琉球の平和主義を如実に現しているのですが・・・さて、それは一体何でしょう?」
なんてクイズもありましたしね(笑)
わたしとしては、琉球平和王国を信じている人は、こっちの影響が強い気がいたします。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 12:14:32
「レッドサン・ブラッククロス」ですね。
ちょうど今、読んでいるところです。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 18:02:46
アメリガが消滅すれば世界が平和になるのであって
アメリカに喧嘩売っている=楽園ということになるんじゃないのかな。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 19:03:54
小林アツシという、反戦ドキュメンタリービデオの監督さんは「琉球王国は交易が盛んな武器の無い平和な国でした」と言っていたよ、二年ほど前に。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 20:19:40
そうかぁ、アメリカに喧嘩売らないと駄目かぁ…
小官的には八重山自治会とかイイと思うんだが。
あの手作り感いっぱいの政府(の卵みたいなもの)がシーランドばりの外交手腕で冷戦の中、独立国家として存続…
ってな仮想戦記面白そうだと思わない?
…史実では一週間で滅んだけど。
Posted by ハインフェッツ at 2008年10月30日 21:17:43
まあ、共産主義は宗教を超える宗教として作り出されたものですから。
正しいかどうかとか、全く関係ありません。死にたくなければ従え。
貴様らには天国も地獄もねえ。なのですよ。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 21:55:03
アホだよなぁ・・・
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2006/10/post_fc7d.html
交易船ですらおもいっくそ火砲がついて武装してますけど何か?
ちなみにここは武器関連とか三山時代関連でググると一発でてきたり以前から参考になった。
宮古島ですら戦乱期があったらしいのに、誤解が多すぎ。資料があまり無いけど。
http://www.beerbreak.jp/mt/archives/2004/09/post_6.html
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 22:45:00
>反戦ドキュメンタリービデオの監督
なんですって・・・?呆れた・・・。言葉もありません。
Posted by 58 at 2008年10月30日 22:55:54
まー何といいますか、当時のTVでも臆面もなくやっていた事なんですよねぇ
わたしとしては、これは知っていて欲しいことですが(むしろ当然)
例え知らなくても、調べる事をしない・・・それも、メディアでさえも!
あぁ、何というか悲しい限りです。
Posted by 58 at 2008年10月30日 22:59:11
交易船だからこそ武装が必要、って話になるよね。
大航海時代のヨーロッパの帆船も軒並み重武装で、はっきりいって軍艦と変わりが無い重装備だった。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 23:15:10
現代ですら海賊だらけなのに生き馬の目を抜く血なまぐさい時代、しかも危険な立地で非武装とか・・・
中国ですら海賊にボコボコにされてるのに中国の冊封程度で安全とかもありえない。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 23:17:31
トンファーはアメリカの警察ではかなり以前から使われていますね。
>40
>幾らなんでも反戦平和の象徴には・・・
非武装というか軍隊が無い国となるとトンガとかぐらいしかないのでは?たしかに楽園だけどねえ。
>49
中南米でなぜ左翼が根強いのか。かつてアメリカ合衆国がたいへん酷いことをした。キューバで革命が成功した等があるからでしょうか。
>58
クイズの答えは扇子だった気がする。
大河ドラマの“琉球の風”でも島津の占領後主人公達沖縄の人々が貿易船を守るため火縄銃の練習をするシーンがあったと思ったし、“やる夫が徳川家康になるようです”の沖縄編でも大砲で島津の軍船を追い払う話があった。
Posted by 90式改 at 2008年10月30日 23:25:23
http://lllparopuntelll.blog118.fc2.com/blog-entry-502.html
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月30日 23:49:32
>と言いますか、こんな事信じてる人、本当に居るのかなぁ・・・。
次エントリで来たね。
「琉球王国は武器を持たない平和な国」と大田昌秀・元沖縄県知事が信じていた件
http://obiekt.seesaa.net/article/108841999.html
いやはや、凄い大物が信じていたもんだ・・・
>わたしの周囲(俗に言う左翼や反戦主義者)なんて、そう信じてる、
>思ってる人は居ませんでしたから。
>歴史に造詣が深くなくとも、知識として当然じゃないかなぁと、
>おこがましくも、思うのですが・・・。
ええ、本来は当然の話の筈なんですけどね。でも真面目な左翼とお馬鹿な「サヨク」は別種の人間、って事なんでしょうね。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月31日 01:13:31
の鉄砲隊と戦って蜂の巣にされてたけれど、あれもあり得ない設定だったのか。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月31日 02:23:03
>
>こんなんですかね?>石火矢
この解説図は分かり易いなぁ。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月31日 22:37:47
轟音で敵兵を驚かすのがメインな爆竹の親玉みたいなもんだ。かなり古くからある。
戦争で太鼓の音を鳴らしたり花火を鳴らしたりするのは相手を呑む為。
ただし、日本の兵士は訓練の賜物か、他の国の兵士みたいにはなかなか戦意喪失してくれないので、
効果が薄いんだよね。驚かせるどころか長弓で逆に射掛けられて痛い目にあう。
鉄砲は撃たれた人が驚いて落馬したりショック死したりするので、その様子をみて戦意喪失を
期待出来るけど。
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月31日 23:18:21
>「手」といわれている土着の格闘技があった
うっかり『闘破蛇伝DEI48』を思い出した(苦笑)。
あれほどアタマがおかしいマンガもなかなか見当たらないのではないかと。
そういえば『花の慶次』でも、カルロスを謀殺したり、スイカみたいな顔した暗殺者がいたりと、かなり物騒な国でしたな>琉球王国
Posted by 名無しコメット神信者 at 2008年10月31日 23:30:28
うっかりググって吹いたじゃねーかw
Posted by 名無しОбъект at 2008年10月31日 23:51:56
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 00:25:05
>武器を取り上げられた人々が、薩摩藩に対抗するために空手を発展させたとする説が
>従来、歴史的事実であるかのように繰り返し言及されてきた。
>しかし、禁武政策と空手発展の因果関係については、近年、これを疑問視する研究者が少なくない。
世間一般では未だ、その「神話」が常識なんすよね。。。
最近の研究では、空手の型は元々は武器術の型であったという説が有力です。
いわゆる禁武政策により、武器の所持は認められていても携帯は禁止、つまり普段の日常生活では持ち歩くことができないため
いつでもどこでも丸腰でも武器の基本操術を訓練できるためのドリルだったのではないか、という説です。
少なくとも、「手」といわれている土着の格闘技があった云々よりは説得力がありますね。
私自身も「空手の型の起源は武器術」の説支持派です。
よく「古流空手の型は実戦では使えない」と言われますが、それは徒手格闘で考えるからそう感じるんであって
武器を持って型をやってみれば、古流の型が、本土の剣術各流派の型のそれと同じように、いかに実戦的に考えられて作られた型なのかがよく解りますよ。
いわゆる空手四大流派などで行われてる基本稽古の動きは、元は武器の鎌を持つ事を想定したと思われるものが多いですね。
空手「やる側」の者たちの間でもでも上記の事柄を全く知らずに「型なんて実戦じゃ使い物にならねえ」と思われてて(実戦=K1などの格闘競技と定義するなら確かにそれは正解なんですが)
しかも、そう主張してる連中に限って「空手は武器を取り上げられた琉球の人々が、薩摩藩と戦うために編み出した」
なんて漫画チックな神話を信じてるんだから、困ったもんです。
Posted by 一応、元・空手家 at 2008年11月01日 00:42:07
>トンファーは琉球の発明した傑作武器だと思う。今では警察に採用されているくらいだし。
正式名称「PR24バトン」ですね。
開発したのは、護身用隠し武器「クボタン」の考案者として有名な窪田孝行師範。
ちなみに「クボタン」の原型になった琉球空手の隠し武器「ヤワラ棒」は、かのGSG9初代隊長ウェゲナー大佐もその使い手でした。
でもオリジナルのヤワラ棒って、あれ、大人のオモチャのディルドーにソックリなんですよねえ。。。
あんなもんポケットに入れて携帯してるの見つかったら、別の意味でヤバいw。
Posted by 一応、元・空手家 at 2008年11月01日 01:04:51
武器を得る前の段階だったり、脇差等を使いづらい状況でのシチュエーションを
考えた体術バリエーションなんだよね。
特に武器を持ってる敵を倒したり、武器を捻る事が出来れば武器が手に入る訳で、
実戦的に考えるとそれ以後も手で戦闘続行ってのは・・・
明治維新で帯刀禁止令が出てからというもの、武器を前提とした訓練が廃れていった訳だけど、
それを自分の都合が良い様に何百年も前の話とごっちゃにしてでっち上げちゃったんだろうね。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 01:15:39
反乱する気力にまで厳しい目を光らせる世界と違い、規制の緩い日本ではいくらでも
使える得物はある訳で・・・
素手で戦う必要性ってのがそもそも無いんだよね。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 01:18:29
でしたか・・・?
何か楽器のようなものだったかなぁ
うーん、思い出せません
>71
向こうにコメントするべきなのでしょうけど・・・
今回の記事本当ショックですよ・・・
Posted by 58 at 2008年11月01日 01:36:24
>何か楽器のようなものだったかなぁ
前述のウェゲナー隊長が持っていたのがそんな形のでしたね。真鍮製?の短い小笛みたいな。
握り部分の溝穴や先端部分の形に色んなバリエーションがあるようですよ。
私が昔、沖縄空手の某道場で習った時に渡されたのは、水平ストライプ状に溝を彫ったグリップで両端が亀頭のような丸みを帯びた
知らない人が見たら絶対に誤解しそうな形状でしたw。
Posted by 一応、元・空手家 at 2008年11月01日 02:15:33
素手の型の段階で、何かしらを持てばそれを有効に使える(素手でも良いけど)というのがあったな。
得物は陣笠でも斬られた長柄の柄でも鞘でも馬具でも何でも良いから持っとけ、というこの御時世じゃえらくに実践的なものだったが・・・
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 04:22:22
重要な手を自損する危険性が恐い。
だから石を握って威力を増すなり、石を投げたり棒で突くなりした方が遥かに効果的だし、
西洋みたいな奴隷を押し込める場所みたいな環境でもなければそんなものは周囲にありふれている。
実戦的な反乱教練の場合は周囲全てを活用する事を教えるのが常なので
素手のみでやる武術なんかはむしろ平和的な環境前提な役立って喧嘩レベルな事が多い。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 14:32:48
とはいいつつも素手でも結構有効に使えるみたいではあるんだけど。
とりあえず、素手での鍛錬型、原型としては結構前からあったけど、明治期から大正にかけては掛け試しってな素手による決闘みたいなのが流行ってた風ではあるので、そのために素手の唐手が発展したという可能性もあると思う。
そう考えると昔の記録にないとか、そういう疑問はだいたい解消する。
おおっぴらに士族も武器が所持できなくなったために江戸末期から明治以降に作られて、いつの間にか王朝途切れたとかで社会不安が増大して掛け試しが流行り、その中で発展した、と。
薩摩藩がどーこーは、歴史の浅さを誤魔化すためのハッタリ。
素手のみが前提の格闘技は相撲とかレスリングとかあるよ。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 16:20:39
明治維新で帯刀禁止令が出たから素手系武術や竹刀なんかによる非実戦的武術訓練が流行った。
これらは主に肉体の修練による精神面向上を目的としているので、従来の血なまぐさい実戦武術とは
かなり違う存在だったり。
日本における真の刀狩りはこの時期に極まったと見た方が良いです。
それまでは収蔵や帯刀はゆるやかで可能でしたから。
日本は海外の特権階級の様な特定階級や思想集団のみが武装をゆるされるのではなく、
普通に市民が兵卒になれる人は掘人は石垣という考え方が土壌にあるので訓練はあまり煙たがられません。
戦争中にも進出先で現地人を徹底訓練したり、指導的立場に付けているのも他国の殖民支配とは
かなり異なるポイントです。
>>86
相撲もレスリングもお互いが同条件前提のゲームだからねえ・・・
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 18:24:31
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月01日 20:42:38
そうです。そうです。そんな感じでした!
・・・にしても、そうと(自身の中で)答えを出すと、後は想像で補う人の何と多い事か・・・。
わたしも気をつけねば、と思いましたねー
Posted by 58 at 2008年11月02日 00:55:34
>中国武術だと門派にもよるけど武器は手先の延長ってことで体術を基礎としているところがあるし
現代のCQBも実は同じコンセプトなんですよね。
基本の姿勢は - 顔と胴体は正面に向け背中を少し丸め腹を引っ込め脇を締める - ボクシング・総合格闘技とほぼ同じで
この構え方一つで、素手 - ナイフ - 拳銃 - SMG - ライフル 全て同じ構えでできるようになってます。
>>86
>明治期から大正にかけては掛け試しってな素手による決闘みたいなのが流行ってた風ではあるので
>そのために素手の唐手が発展したという可能性もあると思う。
戦前の沖縄では唐手の各流派の決闘が盛んだったようです。
夜間、人気のないだだっ広い野原に密かに集まって行う野試合形式で、試合場所は「合戦場」と呼ばれてました。
顔面ありのフルコンタクトで気絶するまで殴りあう、かなり激しい内容だったそうで
この「合戦場」での死亡者数がハブに咬まれた死亡者数を上回るようになったため、後に警察によって禁止されてしまいました。
まさに「死亡遊戯」。
>>88
私のせいですね、スイマセンw。
Posted by 一応、元・空手家 at 2008年11月02日 07:27:21
竹刀稽古が流行ったのは江戸後期からですな。少なくとも江戸期の竹刀稽古は実戦性とかを求めていた風ではあります。
現実に真剣でやったらどうなるのかはさておいて。理念の上では。形骸化はしましたが。
明治からは剣術そのものはかなり廃れます。
相撲やレスリングは鍛錬としての効果は求められていたので、騎士とか武士とかはしていたようです。
http://beemanet.com/essay/sumo/sumo3.html
を見ると、職業人としての相撲取りの出現と平行して、戦場格闘技の一環としての相撲が存在していたことが伺えます。
元々西洋の古いスポーツは貴族の戦場のための鍛錬や決闘の代用である面が強く、ルールが整備されて殺傷力が制限されていったとしてもなかなかに侮れないところがあります。結局、使用者がどういう心構えでいるかの問題に終止すると思います。
「そこには最強の人間はいても最強の技術はない」かと。
>90
フェアバーンシステムは一応、中拳と柔術からという開祖伝説がありますな。
ここらは洋の東西を問わず格闘技者の悪癖みたい。
ただ、どっかの専門サイトで一応は中拳と柔術の技があるように検証されてはいたので、何がしかの事実は反映していたのかも。
>合戦場
秘拳伝キラですね。解ります。
…その話は知っていたんだけど、合戦場と呼ばれていたというまともな資料が手持ちになかったので。
さすがに漫画参照にはできなんだのでw
>格闘スレ
私も責任はあります…ので、ここにはこれが最後のレスです。ご迷惑おかけしました。
Posted by 86 at 2008年11月02日 14:57:26
>フェアバーンシステム
不正規戦オタの私としては昔から気になってて、不正規戦闘術の古典として勉強したいんですが、資料が少ないですよねえ。。。
おそらく洋書では出てるはずなので、並木書房の村上和久氏あたりにぜひ翻訳出版お願いしたいです。
>秘拳伝キラ
その作品は未読ですが、元祖・実戦派空手家として知られる本部朝基師範とその一番弟子の山田辰雄師範(往年の名キックボクサー・錦利弘の師匠)について書かれた文献の中に合戦場の話はよく出てくるので
それらの文献がソースになってると思われます。
>私も責任はあります…ので、ここにはこれが最後のレスです。ご迷惑おかけしました。
私もご迷惑おかけしました。
私も空手・格闘関係のレスはこれで打ち止めにして名無しに戻ろうかと思います。。。(汗)
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月02日 20:02:11
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月02日 20:15:34
近接格闘研究というサイトがあったんだが、なんか閉鎖しているみたいだね。
掲示板が凄く勉強になったんだけどなあ。残念。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月02日 21:02:15
薩摩支配下では武器を持たずに平和国家→それって単に武器制限と、薩摩の支配が比較的まともなだけでは。
刀の代わりに扇子→平和主義なら刀の代わりを持とうともしないんじゃ?
なんか彼らの中の幻想琉球王国を肯定してみても、やっぱり変。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月05日 07:45:39
まぁ実際には「どうでもいい」ってのが正しいかな
こういうヨタが集まって、ある日ばれると反動で沖縄叩きになりそうでコワイ
そもそも沖縄も奄美とか侵略してるし、普通の国家なのになぁ・・・
平和の島なんて逆差別だよ
Posted by レキオス at 2008年11月05日 16:33:35
そういうのを狙って話を組み立ててもいるんだろう。
よくある扇動だよ。ナチがドイツ人をアーリア人だと言ったり、欧州人が白人は半神半人だと言ったり、
その対抗で明治あたりから日本人も神の一席だと大きく広げだしたり、生産者こそが尊人で他の職層は収奪する打倒されるべき存在だと共産主義者が言い出したり・・・
もっとも、キリストの談話や高天原のお話、熊や鰐のお話なんかを昔話として捉えてる分には
問題はないし、そういう伝承があるのは事実なんだけど。
沖縄のは本当にどうしようもない作り話だからねえ。沖縄自体が当時他の群島を侵略してて血まみれの惨劇を
繰り広げてたってのに、武器も持たない平和国家でしたとか流石に恥だろう。
Posted by 名無しОбъект at 2008年11月09日 04:51:14
従兄弟連中との模合(頼母子講)でよく議論になるけど、ナイチャー(差別用語で正しくはヤマトゥンチュ)はヒジルー(冷たい)幻想を未だに持ちえてるから始末に困る。
現実を見ようともしないで幻想に酔い痴れてる。
Posted by しまんちゅですが何か? at 2010年05月09日 10:29:03
「ベストキッド」も完全なフィクションだったんですね。
Posted by 名無しОбъект at 2024年03月14日 01:22:58