このカテゴリ「【反戦軍事学】林信吾」の記事一覧です。(30件毎表示)

2007年08月11日
今月、講談社から出版された佐々木俊尚氏の著書「フラット革命」の276ページに、当ブログでの林信吾さんのコメントが紹介されていました。


▼フラット革命
フラット革命




もう一つ、例を挙げよう。二〇〇七年三月、あるノンフィクション作家は自著が軍事関連の著名ブログ『週刊オブイェクト』に批判されたことに腹を立て、このブログのコメント欄に次のような事を書いた。

<匿名ブロガーとプロ作家が対等だと考える、とんでもない思い上がり。作家の文章には商品価値があり、著作には値段が付いている。電話取材でコメントした場合でさえ、対価が生じる。つまり、俺が何らかの見識を披露し、報酬を得ないとすれば、それはボランティアだということになる。このブログに対してだけ、そのような奉仕をすべき理由など、どこにもない。「逃げたらネット中の笑いものですよ」など、ちゃんちゃらおかしい。ならば逆に尋ねるが、ここでJSF(筆者注:週刊オブイェクトの運営者)とやらを征伐したとして、それが俺のビジネスに、一体どんな利益をもたらすのかね?ヲタ(筆者注:オタク)は読者として想定してないと、一番最初に言ったろ?(中略)ともあれ、ネットウヨ(筆者注:ネットウヨク)やヲタがなに言おうが、実社会はとりあっちゃいない。思い上がりも、ほどほどにしとけ。>

しかしながら彼ら古い人たち―この元編集者やこの作家の期待に反し、いまやネットの世界は、リアルに限りなく接近しつつある。ネットの世界での評価が、そのままリアルの世界での評価とイコールとなる時代は、まもなくやってこようとしている。古い知識人やジャーナリストがさかんに「便所の落書き」「匿名は卑怯だ」とネットを攻撃しているのは、そうした新しい時代への不安であり、恐れでしかない。


「フラット革命」で紹介されたオリジナル部分はPosted by 林信吾 at 2007年03月15日 12:33:55になります。林信吾氏の名前を出さない為に「林信吾の文章には商品価値があり」→「作家の文章には商品価値があり」という改変がありますが、それ以外は全てそのままで引用されています。林信吾氏の件は、マスコミ人や著名人が批判に逆上する二つ目の例として取上げられていました。もう一つの例は「この元編集者やこの作家」とあるように、雑誌「Tarzan」元編集長の及川政治ブログ炎上事件です。及川政治氏も、直接名前は出されていませんでした。

ちなみに「逃げたらネット中の笑いものですよ」と言ったのは私ではなく、コメント欄での書き込みです。むしろ私は来訪編その四で「このブログでの投稿は林信吾さんのご好意によるものであり、林信吾さんには返答をする義務はありません。投稿するもしないも林信吾さんの自由です。」と返答しており、匿名ブロガーとプロ作家が対等ではないという、林信吾氏の主張をそのまま受け入れています。

ですが佐々木俊尚氏の「フラット革命」の内容は、インターネットのつくるフラットな空間では、属性や社会的地位によって評価が揺らいだりせず、会社経営者だろうがフリーター・ニートだろうが関係なく、匿名言論であってもロジックが説得力を持っていればきちんと評価される、とあります。それがインターネットが創る新たな世界の枠組みであり、革命であると。

佐々木俊尚氏はベルギーの女性政治学者シャンタル・ムフを引用してこう説きます。ラディカルな民主主義とは、お互いの意見を交換し、議論していく事によって本格的な民主主義を実現していく。「アゴニスティック・デモクラシー(闘技的民主主義)」。そこに友愛は必要無く、議論し、闘い続けるその上で、お互いの存在を許容し、向き合う世界。

友愛は必要ではない―ある意味衝撃的なこの言葉は、私(JSF)の頭に深く印象に残りました。民主主義の要件を分かり易く言うとすれば、フランス革命時の「自由・平等・同胞愛」の標語がそれにあたります。(同胞愛(Fraternite)は、日本語では「博愛」と訳される事が多いのですがそれは間違いで、より狭い範囲の同胞愛、友愛という意味に近い。)

新たなる民主主義では、それは要らないというのです。闘って闘って、お互いを認め合う。それは相手の意見を認めるという意味ではありません。相手の存在を認めるということ。意見の違いを認めるということ。議論の存在を、認めるということ。

以前、名古屋大学の大屋准教授は「議論とは相手の説得を目的にするものではない」と仰られました。そうです、相手を説得することは、必ずしも必要ではありません。何故なら、民主主義は多数決だからです。説得力のある主張が第三者の目に触れ、大勢がそれに賛同すれば、論争相手が納得していなくても構いません。議論の経過が可視化されていること、それが誰の目にも触れられる事に意味があります。

林信吾騒動は、序章を読めば分かりますが、発端は大屋准教授のブログからでした。私は林信吾氏との対話で、最初から相手の説得を意識していませんでした。見せるべきは、ギャラリーである第三者です。よく、説得できない相手と議論をするのは不毛だと言われますが、そんなことはありません。議論をする事そのものが、民主主義を育てていく意義のあることなのだと思います。
2007年04月14日
補完計画というより保管計画でしょうか。ネット上その他でのホホイ語さん及びその眷族のコメントを回収する計画です。当ブログでは既に連載シリーズの序章で「おおやにき」「Because It's There」「Letter from Ceylon」でのコメントを紹介済みです。「眷族」としたのは、回収目標の別名による投稿の疑いが濃いものの証明ができない場合も含める為です。当ブログではIPチェックにより自作自演行為を証明できましたが、doblogのようにコメント投稿者のIPがチェックできない所もあるからです。その場合、眷族には単なるファンの応援投稿が含まれる場合があります。

doblog「Letter from Ceylon」の匿名発言統計によると、「戦記ファン」「吾輩は茶帯である」「サッカー不安」「勇敢富士」「扶桑社・佐藤」などが眷族に該当すると見られています。「Letter from Ceylon」での本人の初登場はブログ主の FRANK LLOYD 氏が「日本で確実に進行中 階級社会の恐怖」の書評を行ったことから始まります。初登場は2006年4月19日及び4月20日、本人名義での書き込みはこの二件だけです。その後、7月まで眷族と見られる来訪は続いています。

「戦記ファン」コメント集
「吾輩は茶帯である/黒帯になりたい」コメント集
「サッカー不安」コメント集
「扶桑社・佐藤=勇敢富士」コメント集

それでは FRANK LLOYD 氏が纏めておられるコメント集より、注目すべきものをピックアップしていきます。(なにしろコメントが多すぎるので全ては紹介できません)



[ 戦記ファン ] [2006/04/27 11:50]
林信吾さんの本は、50册くらい出版されてます。
一時帰国して、まとめ買いしたらどうですか。
特にすごいのが「真・大東亜戦争」(全17巻)という小説。
日教組御用達の教科書でどうのこうのなんて、
なにも知らずに書いたアナタ、とても恥ずかしいです。
レスしたのは、案外、本人じゃないかと思います。
ワルと兵器で「バカ」とか書く人ではありますので。
戦史や日本史にも詳しいし、少林寺拳法の黒帯だし、
どのみちアナタがケンカして勝てる相手じゃないとおもいます。

[ 戦記ファン ] [2006/06/05 11:02]
久し振りですな。
林先生が、日刊ゲンダイで、格差問題についての連載をはじめました。
その中で、
「日教組御用達の教科書で育つと、林氏みたいなにんげんができるんでしょうか」
などと書いた馬鹿ブログの話題がありました。
アナタのことでしょうか。
おめでとうございます!
誰からも認められない糞ブロガーから、国民的笑いものへと、
一挙に大出世じゃないですか。
林先生に、御礼の手紙でも書いたらどうですか。

[ 勇敢富士 ] [2006/06/11 10:17]
林信吾、ねえ。業界屈指のケンカ好きとは聞いていたが、素人のブログにまで乱入するとは。よほど虫の居所でも悪かったかな。
本名を名乗ってるコメントは、まず間違いなく本人だな。
相手を最初から見下げて、ズバッと斬るようなことを書く。それを痛快と受け取る読者もいるわけで、言わば彼の芸だな。
それに引き替え戦記ファンの方は、ねちねちと慇懃無礼な書き方をしてる。これは全然、同一人物とは思えない。
おそらく、林のケンカを自分のケンカにしてしまってるんだな。よくあるファン心理だ。
ところで、なんだってまた林信吾にケンカを売ったりしたんだい?

[ 勇敢富士 ] [2006/06/18 10:55]
なるほどね。海外に長くいるし、林信吾についてなにも知らなかったわけか。
中央公論社から何冊か本を出してたんだが、あの読売のナベツネを手厳しく批判して、中公が読売傘下になった時、版権の移転を拒否して有名になった。
林望みたいなイギリスびいきとか、「戦争論」の小林よしのりなども、クソミソにやっつけている。もちろん、名指しで。
今時みんな、ケンカはしたくない、という風潮なのだが、林はその点、ケンカ好きと言われようが、作家としての存在を賭けて言論戦を展開する男であることは確かだ。
これに引き替え、ネットで書く人達は、自分はなんのリスクも背負わずに、誰かを名指しで批判できるからね。君自身、本名や出自は明かしていないわけだし。
林の肩を持つ気もないが、多分、そのへんが腹立たしかったんだろう。それにしても、バカとまで言われたんだから、たしかに痛み分けだな。

[ 勇敢富士 ] [2006/06/18 11:01]
それはそうと、どうして林信吾と戦記ファンが同一人物だと思うのかな?
まさか、自分のブログの悪口書く人間なんて、林くらいしかいない、などと思い込んでるわけじゃあるまい?
それこそ林の著作を読めば分かるが、戦記ファンとは理論の水準が全然違うよ。
読め、とお強要する気はないがね。
それに、今の林の売れ方だと、おそらく400字あたり1万円くらいの稿料はとってるだろう。1円にもならない書き込みを、こんなにしつこくやるとは思えない。
本人も、付き合うヒマはない、みたいなことを書いてたじゃないか。
戦記ファンへ→このブログに、マスメディアで活躍する人間に対する、屈折した感情が読み取れるのは確かだ。けど、格が違うと言ったって、プロと素人じゃないか。
イソップの狐だとか、ミもフタもないこと言いなさんな。可哀想だよ。

[ 勇敢富士 ] [2006/06/21 14:14]
ああ、そうそう。
林信吾の最近の言動に興味がわいたので、業界の情報を集めてみたんだが、彼は今ドイツにいるらしいよ。サッカー・フリークだからねえ。
それにしても、ブログの敵を日刊ゲンダイで討ったとは、呆れた話だ。
木刀構えて粋がってた程度の相手に、ミサイル撃ち込んだようなもんだよ。この点では、君に同情するわ。
戦記ファンがしつこく「書き手としての格」というが、これは「書いた文章が持つ影響力」と「文章表現力」を混同してしまって、こんな表現になったんだろうな。だから俺は、プロと素人の「格」を比べても仕方ない、と言ったまでのこと。
俺は無責任な傍観者だが、自分の言論にあくまで責任を持つ覚悟があるなら、実名で書くべき、というのも、ひとつの見識であると思うが、どうかな?

[ 勇敢富士 ] [2006/06/23 17:39]
ああ、そうだ。実は、戦記ファンの正体については、俺も疑念を抱いていた。
こういった、言っちゃ悪いが注目度が高そうには思えないブログが、批判された作家本人と、その熱狂的ファンに、相次いで読まれるなんてことがあるか、とね。
同一人物説は、俺はとらないが(理由は、前に書いたよな)、戦記ファンは、案外、林の身近なところにいて、舎弟気取りの若いライターとかじゃないかな。
林くらいになると、こういった若い者がいても不思議じゃない。林自身、かつては猪瀬直樹に目をかけられていたわけだし。で、代理戦争を買って出たんじゃないか、と。
そりゃそうと、評論家風の文章より、香港の日常とか、そういったブログを書いてみる気はないの?俺は、そっちの方が読んでみたいなあ。


[ 扶桑社・佐藤 ] [2006/06/29 13:12]
前略。今まで「勇敢富士」を名乗ってコメントしていた者です。
まずは、謝罪します。最初から意図したことでないとは言え、匿名で貴殿をテストするような結果になってしまいました。林信吾を叩けるような書き手がいたら面白のに、などと考えていた矢先、偶然このブログがヒットしたもので。
ネットにおける匿名・実名論争は、それなりに楽しめましたが、私の真意は、貴殿の表現力、論争術、挑発に対応するセンスetcといったものを見極めることにありました。
そして、残念ながら「駄目だ、こりゃ」と言わざるを得ませんでした。
林信吾には到底太刀打ちできないばかりか、そもそも活字にすべき水準に達しておりません。
黙って去ったのでは、またぞろマナーをとがめられかねませんので、コメントの意図を明かした次第です。悪しからず。


[ 扶桑社・佐藤 ] [2006/06/29 13:17]
私が読んでみたいと思った、香港の日常・身辺雑記は、別のブログで書いているわけですか。
本当に、書くことがお好きなのですね。
そうであればなおのこと、文章を書くという行為に対して、もう少し謙虚になるべきだと思います。特に、ネガティブな反応にどう斬り返すかで、書き手の度量が分かります。
戦記ファンにまで、悪ふざけはやめろ、などとたしなめられるようでは……
もちろん、最初に乱入してきた「林信吾」にも問題はありますが、日刊ゲンダイでこのブログをからかった、というのが本当ならば、あれはあれで、名刺代わりだったのかも知れませんね。
要は、いかに乱暴な表現でも、プロレス的なスタンドプレーなのか、本当に逆上してしまっているのか、ということです。

[ 佐藤です。 ] [2006/06/29 13:19]
貴殿のエントリーを読むと、勉強好きであることはよく読み取れます。
また、海外生活が長く、理系の教養があるというのは、大いなるアドバンデージです。
今後の精進に期待して、私のコメントを終わらせていただきます。
非礼の段は、重ねて陳謝します。

[ さ、佐藤さん! ] [2006/06/29 17:46]
これはきつい。いや、久々の笑撃でした。マジで、戦記ファンは腹の皮をよじって討ち死にするところでした。
そうだったのかぁ、なにげに業界っぽいこと言ってるな、とは思ってたけど。
……あ、なるほど。HNで気づけよ、って話だったんですね。
夕刊フジは日刊ゲンダイとはライバル関係。扶桑社は同じフジサンケイグループの出版社ですもんね。そうでしたか、いやはや。
それにしてもご老体、なんにも知らんと、中学生並みの語彙だとか、才能のない者の努力は虚しいだとか、天に向かって唾吐いちゃいましたねえ。
もはや収拾がつきませんな。
ご冥福をお祈りします。

[ 佐藤さん、無茶っす! ] [2006/06/29 17:52]
そりゃそうと、佐藤さん。
彼を試してたって、もしかして、なんですか?この無知でひがみっぽい熟年ブロガーを、夕刊フジあたりのライターに取り立てて、林先生のネオ階級社会論を叩かせてみようとでも?
冗談は吉岡美穂、正気のサタデーナイトにアクセルホッパーでしょう。
彼が林先生にしつこく噛みついた理由なんて、どだい作家とかジャーナリストといった肩書きに対するやっかみだけですよ。私は、最初から気づいてました。
「駄目だ、こりゃ」まで、時間がかかりすぎてやしませんか?
見ててご覧なさい、そんな過当なメディアに書きたくないとか、すねちゃいますから。
とかなんとか言いつつ、毎日新着コメントをチェックしてる私って……
虚しい…顔文字。ワンパターンですね。

[ 日本語ファン ] [2006/07/02 14:09]
相変わらず、コメント来ませんねえ。林先生の名前が乗らない限り、誰も注目しないことがよく分かります。仕方ないから、カキコしてあげましょう。
アナタ、恐ろしいことを言ってますよ。
娘をどこの学校にやろうが、そりゃあアナタの勝手ですがね。娘が日本語を覚えると、喫煙とかミニスカート、援助交際と言ったカルチャーがなだれ込むとは……
ここまで日本語と日本のカルチャーに対するひどい侮蔑を、あまり聞いたことがありません。
そんなアナタは、日本語で日本社会に対して物言いをする基本的資格を、どうして自ら放棄しないのですか?英語でなにか発言しても、白人社会の仲間に入れて貰えないからですか?私には、差別に対して黒帯の実力で立ち向かった某先生の方が、恣意団立派に思えます。脱糞してお休みなさい。

子供でも「あ、成り済ましだ」と分かるような、あまりにも痛々しい工作活動で、涙が出てきますね・・・この時「Letter from Ceylon」での撤退作戦がまがりなりにも成功したのは、単にIPチェックができなかったdoblogというブログサービスに起因するものです。この時に正体が暴かれなかったからこそ、数ヵ月後に当ブログで串も刺さずに工作活動を行ったのでしょう。こういうことをしても大丈夫なんだと、勘違いしちゃったんでしょうね。でもSeesaaはコメント投稿者のIPが記録されますので・・・。

「Letter from Ceylon」に登場した本人名義の書き込みは、日刊ゲンダイで「Letter from Ceylon」の話題が紹介されたということで本人確認が為されています。これは最新著作「ネオ階級社会を待望する人々」の著者後書きで「おおやにき」の件が紹介されたことと同じパターンですし、当ブログで潮匡人との対談が週刊朝日に載るという予告とも似ています。その後「Letter from Ceylon」での本人名義以外の支援投稿の数々も、当ブログでの「関係者ですよ」と名乗る自作自演パターンと似通っています。また、夕刊フジや扶桑社など自分と敵対する対象に罪を擦り付けるパターンも、nomad氏の「●林信吾の壮絶なる最後の瞬間」に登場した「林望」名義での書き込みと同じ行動様式です。



他人の褌で相撲取ってんじゃねえよ、ヴォケ。しかも、左だの右だのと政治ごっこかよ。

内弁慶のネットごっこ。どうせ現実社会へ戻ったら、ただのもやしっ子だろう。

大衆迎合で楽しいか?

あーあ、アホらしい。しねや雑魚。
Posted by: 林望 | 2007年03月25日 00:29

この書き込みは本物の林望氏に直接聞いた結果、偽者と判明しています。一体何者が、どういった理由で騙ったのか・・・考えるまでも無いでしょう。何もかも「Letter from Ceylon」で昨年4月から7月にかけて行われたことの、再現なのです。

私は連載期間中、このことを詳しく紹介しませんでした。それはdoblogではIPによる照合が出来ず、自作自演と断定できなかった事もありますが、何よりも逃げられる事を警戒していた為です。今回の一連の騒動は、ほぼ予想の範囲に収まっていました。それは当然です、過去の先例と同じ足跡を辿るようなものだったのですから・・・。
2007年04月08日
2月25日に「序章」を書き始めてから一ヶ月以上続いたこのシリーズも、そろそろ終わりにする事になりました。

「林信吾:反戦軍事学」(2007/02/25〜2007/03/11)
「林信吾:反戦軍事学」(2007/03/16〜2007/04/08)

このエントリーを含めて20エントリー、連載期間43日。思ったよりも大長編になってしまいました。本来ならば3月19日の「自作自演暴露編」の時点で大勢は決し、数日間を置いて纏め記事を書き上げ終わらせるつもりでした。元々の計画では10日以内に目標を誘出、状況(来訪編)開始後10日で決着をつける予定だったので、スケジュール的にはギリギリながらもほぼ予定通りだったのです。エントリー数も他の人の書評紹介を除いて、ちょうど10個に収めるつもりで組んでいました。

ところが「書評を続けて欲しい」という声が思いの他多く、また潮匡人氏との対談が週刊朝日に載るまではと、暫く続ける事となりました。その為、連載期間は当初予定の倍、エントリー総数も倍となり、少し冗長に過ぎたかもしれません。

私は本題を、自分の主張したいことを真っ先に言う癖があるので、実は「反戦軍事学」について言いたい事は「徴兵制編」で全て済ませていました。他にも突っ込み所が沢山あるのは分かっていましたが、私でないと・・・というより、私が言わなければならないのはあの箇所であると、そう思いました。それは単なる思い込みなのかもしれませんが、徴兵制シリーズの作者としても、義務であると思ったのです。イラク戦争での負傷兵人種別統計を知らしめるよい機会でもありました。実はこれとは別に、その後の論戦に備えて某シンクタンクの報告書を敢えて紹介せず、温存していたのですが、それを提示する機会は遂に訪れませんでした。

こうして3月中盤に決着を付けて、その後の2週間は書評を続け、週刊朝日に対談が掲載されるのを待ちました。掲載直前に独自に情報を得て「公開予定日編」を投入し、その後に2回を費やして対談の様子を紹介。そうしたら今度は「オーバーキルだ」と言われてしまいました。ですがこれは3月7日の時点で林信吾さんご本人が宣言していた以上、不可避な結果です。私にはどうしようもありません。(「書評を続けろ」と言ったり「やり過ぎだ」と言ったり、皆さん勝手です。いやいいですけど)


私の「反戦軍事学」に対する書評は、今まで書いてきた分量は全体に対してまだ三分の二も行っていません。この本には徴兵制とは別に主題があり、核武装論や靖国神社なども主要テーマに挙げられています。しかし靖国問題などは軍事学の領域ではなく、宗教問題ですらなく、政治の領域となるべきものです。林信吾氏は「これだけ書き込みがあって、小林よしのり氏や上坂冬子さんを擁護する人間が現れないのは、どういうわけだ?」と不思議がっていましたが、それは当たり前のことです。

軍事屋にとって小林よしのり氏は問題外の存在であり、上坂冬子氏に至っては存在すら全く認知されていないでしょう。彼らは軍事的に語れるものを何も持っていないのですから。小林よしのり氏に至っては著書で軍事的な間違いばかり繰り返しています。私は(コメント欄の人達も含めて)、軍事的な解説を行おうとしています。軍事学を名乗る本を、軍事的に書評する。ならば軍事以外の問題は扱いません。

「反戦軍事学」は、第三部上級編、第四部応用編から軍事学という代物ではなく、他人を批判する批評本となっており、軍事というものを体系的に解説する努力を放棄しています。まだ関係あるとすれば核武装論についてくらいですが、それですら批判対象の実態を大きく歪める手法を用いており、シャドウボクシング(最近では藁人形論法とも言うらしい)をしているだけにしか思えませんでした。



『その日本において、軍事問題や核問題に関する議論のレベルが、これほどまでに低く、およそ軍事常識を無視した「徴兵制復活論」「核武装論」等々が幅を利かせているという事態は、私には不可思議で仕方ない」』 p142〜p143

徴兵制については既に指摘済みですが、核武装論についてもおかしな話です。日本では今まで核武装論は唱えることすらタブーだったのが、唱えるだけなら排除されないという状況に変化しただけで、核武装論が幅を利かせるような事態にはなっていない筈です。(実際に近年の各種世論調査では、「議論は容認」すれど「核武装には反対」という勢力が最も多いという調査結果になっている)私自身も「議論は容認、その上で反対」という立場です。



『手元に、『ニッポン核武装再論』(兵藤二十八著 並木書房、二〇〇四)という本がある。

再論と題されているのは、あとがきによれば、以前から『諸君!』や『SAPIO』といったメディアで、「こうすれば日本の核抑止は現実的になる」といった話を一通りしているからだそうだ。

実際、この人は「軍事学者」を自称していて、いわゆる軍事オタクの間ではカリスマ的な存在である。インターネットで核武装論を展開している人は、この本から影響を受けている例が少なくないという。

と言うことは、この本に展開されている議論を粉砕してしまえば、巷の核武装論も、少しはおとなしくなるのだろうか』 p143

これは兵頭二十八氏に対する林信吾氏の評価ですが、嘘です。兵頭氏が軍事オタクの間でのカリスマ的存在だなんて、聞いたことがありません。これは批判対象を実体より遥かに大きく見せ、それを論破した様に見せて、読者を騙す行為です。

そして元々私は核武装論について上記で示したようなスタンスですから、もう何も語るべきことはありません。後はAmazonの書評を参考に、この本の評価を判断して下さい。




表紙裏表紙書籍の詳細
表紙裏表紙

反戦軍事学
朝日新書: 021
著者: 林信吾
出版社: 朝日新聞社
新書: 242ページ
発行日: 2006/12/30
価格: \756(税込)
ISBN: 9784022731210

Amazon.co.jp
2007年04月06日
それでは4月3日火曜日発売の週刊朝日4月13日号、対談企画「なぜいま「軍事学」の時代なのか 『反戦軍事学』林信吾 ×『常識としての軍事学』潮匡人」の感想を書いていく事にします。

それでは先ず最初に目に付いたのが170ページの三段落目。テーマは、日本国民に軍事的知識が欠けている事について。



『戦後民主主義教育の中で、自衛隊は発言権を奪われた状態でした。その一方で日教組と朝日新聞を中心とした勢力に、一貫して差別され、批判されてきたという思いが、制服組にはある。学校の教師に親が自衛官だというだけで悪く言われたり、成人式に参加できなかったり、転入届が受理されなかったという経験をしてきている』

『それは問題ですが、日教組や朝日新聞がそれほどまでに世論を動かしていたかは疑問です。むしろ政府自民党の方が、冷戦構造の中でアメリカの軍事力を下支えする自衛隊、という構図を見えにくくするために、意図的に国民から遠ざけてきたのではないでしょうか』

林信吾さん、朝日新聞をフォローするつもりが「朝日新聞の影響力なんて大したことない」と、逆に酷い事を言っちゃっています。それはちょっと朝日新聞さんが可哀想な気がするのですがどうなのでしょうか。

さてこの「政府自民党が意図的に国民から遠ざけてきた」という主張に類するものを、林信吾氏は他の場所でも既に行っています。


【著者インタビュー】「反戦軍事学」林信吾氏 [1/17 ゲンダイネット]
今、憲法改正や自衛隊軍隊化を目指す連中が一番怖いのは、国民が軍事に関する正しい知識を持ってしまうこと。ならば私はぜひ皆さんに正しい軍事知識をお届けすべきだろうと、この本を書いたわけです。

どうもこの主張は林信吾氏の持論のようですが、「反戦軍事学」という本自体に誤った軍事知識が山のように詰め込まれている以上、まるで説得力がありません。それに「連中が一番怖いのは」とする根拠が何も示されていません。「政府自民党が意図的に国民から遠ざけてきた」という主張にしても、何も根拠が語られていません。

これでは全く説得力が無いです。

そして潮匡人氏が「そうは考えません」と深く突っ込もうとすると、林信吾氏はこれに答えずに「話を進めましょう」と、無理矢理に次の話題に移っています。もうこのやり取りを見た時点でゲンナリしてしまいました。


これから中盤にかけての話し合いは、平行線のまま行われていきます。幾つかの箇所を抜き出して感想を書いてみましたが、特に意味があるとは思えないので載せるのは止めておきます。終盤までの流れの雰囲気は、前のエントリーの"みんなの声"を参照して下さい。


そして最後のページ(p173)の中ほどで、以下のような問い掛けが唐突な形で出されます。



『最後にぜひ聞いておきたい。潮さんは自衛隊のあるべき姿についてどう思いますか』

『理想の軍隊は英国です。理由は簡単です。英国にも日本にも、王族と皇族がいるからです』

こういう話題を振れば潮匡人氏がこう返答するだろう、という読みがあったのでしょう。これは常々、潮匡人氏が主張している持論なのですから。そこでイギリスに10年居た林信吾氏が、得意のイギリス論を駆使して迎え撃つという筋書きです。この対談で林信吾氏が仕掛けた「作戦」らしい作戦は、これくらいです。つまり、



折角だから、もうひとつだけ。
近々発売される『週刊朝日』に、俺と潮匠人氏との対談が載る。
「論戦」とは具体的にどうやるものだか、これでも読んで勉強しなさい。
Posted by 林信吾 at 2007年03月07日 22:11

この発言における「論戦とはどうやるものか」とは、まさにこの対談の最後の問答を指し示していると言えます。

しかしなんとこの一番肝心な部分が、致命的な間違いだらけで目も当てられない状況となっています。出典:週刊朝日4月13日特大号(4月3日発売)p173



『英国と日本では軍隊の存在感も違いますが、もっとも大きいのは軍隊の性格です。英国の軍隊のうち、空軍、海軍、海兵隊は「ロイヤル」の名を冠している。つまり王家の軍隊です。でも、陸軍だけは「ブリティッシュアーミー」という名称になっている。これは議会制民主主義を確立する過程で、国民ないし議会が王権と戦った歴史が背景にあって国土防衛にあたる陸軍だけは「国民軍」を名乗っている』

【事実】
林氏の言い分ですと、英国空軍、英国海軍・海兵隊は国王の私兵であるがごとくの言い分ですが、そんなコトはありません。大体、宣戦布告だけ行ったって、戦費の調達は議会の議決が無ければ行えないのですから。戦費の調達のみならず、平時の予算も議会を通さねばなりません。

王権そのものがクロムウェル死して後の王政復古により、議会が王へ保障した物であることを考えれば、議会に無関係に国王が軍をどうのこうのできるはずが無い。

この後、対談の中で潮氏に対して、「やはり潮さんの発想はどうも古い感じがする」と言ってますが、英国軍が国王の私兵であるかのような認識を持っている林氏は17世紀で止まってますね。

(ゆきかぜまる)




『英国の国王は、議会に諮らずに宣戦布告することができるし、麾下の空軍、海軍、海兵隊に対して解散を命じることすらできます』

【事実】
何十年住むより、ちゃんと資料読んだ方が有効ということですね。年の功より亀の甲。

以下英国大使館(日本語版)より。

『条約を締結する権限、宣戦布告と講和を行う権限、外国の国家および政府を承認する権限、領土を併合・割譲する権限は、女王の大権の下で『政府』が有しています』

(斜め下の山田 )



続々・ひたぶるにうら悲し (おおやにき)
というわけで、軍事からはじまった話のはずなのにイギリス研究のイロハの部分にまで疑いが及ぶという仕儀になった。そもそも組織が誰のものかを問題にするのに設置根拠たる法令でも予算でも人事でもなくて名前を根拠にするあたり、学部学生のレポート以下と評価するべきだろうか。なんかもう「うら悲し」というか、どうにもならん話だな、という感想で終わる。どっとはらい。

・・・林信吾さんからイギリス論を取ったら、一体何が残るのでしょうか? これはちょっと悲しすぎます。
2007年04月05日
さて、「対談公開予定日編」で予告したとおり、4月3日火曜日発売の週刊朝日4月13日号に林信吾氏と潮匡人氏との対談、

「なぜいま「軍事学」の時代なのか

『反戦軍事学』林 信吾 ×『常識としての軍事学』潮 匡人」

上記の記事が掲載されていました。この事と「本人確認&自作自演暴露編」を併せてご覧頂ければ、一連の林信吾名義での書き込みが全てご本人であることが確定された事と思います。

なお、当ブログでの林信吾さんの書き込みは、以下の3月21日のものが最終となっています。



まあ、こんなもんでしょう。
ネット中、大爆笑。でも世間一般では誰も気にしていない。
ネットの破壊力がどんなもんか、数日様子を見てみたが、大先生も業界もビクともしてません。

木曜夜にコメント(いわゆる勝利宣言)書いてから、なんか虚しくなった。こんなん相手にしてるヒマに、少しはまともな本でも読めたのに……
そこに、あの大見得だ。
「私を理論的に打ち負かせば、ネット上で箔が付きますよ」
笑った。つまり、こういうことだ。
「たとえJSFが林信吾をギタギタに論破しようとも、それはネット上という、いわばバーチャルな世界の出来事に過ぎず、現実世界の作家活動にはなんの影響も与えない」
……だろ?
それなら、乗りかかった船で、もう少し盛り上げてやろうか、ってんで、「突然のヘタレから自爆」というシナリオを、自作自演。
皆さん、ハマったでしょ?
「これがケンカに勝つテクニックですか」
などと、鬼の首取ったようにヨロコブJSFの姿が、目に浮かぶようだった。
もっとも、自分のやってることがマスターベーションに過ぎないと、おそらくは死ぬまで気づかないのかと思うと、いささか哀れだが。

JSFよ、この理論が理解できるかね?
今ここにいる林信吾とは、あくまでも
「ネット上だけのハンドルネーム林信吾」
に過ぎず、『反戦軍事学』『ネオ階級社会を待望する人々』などの著者である作家・林信吾との同一性は、IPなどで証明できない。
それとも、本のどこかに「著者IP」が明記されているかね?
だから、「著者自身の言葉で(本の内容が)否定された」「著者に質問がある」などとは、全部独り相撲に過ぎなかった、ってこと。だって俺、著者じゃないから。

今日はお彼岸。
ネットだけが世界だと思っている亡者の皆さん、どうか成仏して下さい。
合掌。
Posted by 林信吾 at 2007年03月21日 08:30

林信吾さん、お疲れ様でした。

さてそれでは、「論戦とはこれでも読んで勉強しなさい」と言われたとおり、週刊朝日の対談の話を勉強の為に考察すべく、感想を書いていきたいと思います。先ずは私の感想は次回に廻すとして、既に読まれた方の声を紹介しておこうと思います。(また体調を崩してしまったので、取り敢えず"皆の声"で時間稼ぎお楽しみ下さい)

それでは以下は全て引用です。…続きを読む
2007年04月01日
皆さんは、先月3月7日に当ブログのコメント欄で、林信吾氏からこのようなコメントを頂いた事を覚えておられるでしょうか。



折角だから、もうひとつだけ。
近々発売される『週刊朝日』に、俺と潮匠人氏との対談が載る。
「論戦」とは具体的にどうやるものだか、これでも読んで勉強しなさい。
これも繰り返しになるが、著作をちゃんと読んだ上での批判は、俺は基本的に歓迎する。マチガイの指摘も、当然ながら歓迎。
そのことと、逐一答えるヒマがあるかどうかは別問題。今日はたまたま、出張明けだったので、このブログはある意味、ラッキーだったのかな。
Posted by 林信吾 at 2007年03月07日 22:11

注:「潮匠人」とあるのは潮匡人(うしお まさと)を誤記したものと思われます。

潮匡人氏といえば、「正論」2月号で林信吾氏の「反戦軍事学」を「朝日新書の“大冒険”」の例として痛烈に批判しています。その流れで朝日新聞社が設けた企画なのでしょう、潮匡人氏はアウェーに乗り込んで林信吾氏と直接対談を行います。これは是非とも要チェックです。二人の「論戦」の様子はきっと勉強になるでしょう。

ところが「近々発売」とあるのに、一ヶ月近く経ったこれまで載っていなかったので、何時頃掲載されるのだろう?と思うようになりました。しかしこういった対談形式の場合、対談が行われてから結構な日数が経ってから掲載されることはよくあります。編集者は録音したテープから文字起こしの作業をしなければなりませんし、週刊誌などでは時事ネタの方を優先的に取り扱い、速報性の優先順位が低いものは後回しになるからです。

そこで気になったので、林信吾氏の対談相手である潮匡人氏ご本人に直接連絡を取って見ました。メールの返事によると、二人の対談の様子は来週発売の「週刊朝日」に掲載される予定だそうです。ということは4月3日火曜日発売です。期待して待ちましょう。
2007年03月30日
本来なら一回で終わらせる予定が、何時の間にやら前置きを一回、内容を二つに分けて計三回となってしまった戦艦大和とイージス艦編ですが、これでようやく本題「イージス艦vs.テポドン」に入ります。本題に入る前に96ページで紹介されている、エイラート号撃沈事件の説明などが幾つか間違っていたりもしますが、もう面倒なので一々突っ込まずにさっさと行って見ましょう。(だって全然前に進まなくなってしまうもの)

本題は、海上自衛隊のイージス艦の話です。



『ともあれ、ここまで読まれた読者の中には、
「海上自衛隊には、そんなすごいフネがあるのか。日本は大した国だ」
という感想を持つ方も、いるかも知れない。
しかし、この「飛行物体」が、弾頭に爆発物を搭載し、日本列島を直撃する軌道に乗ったならば、海自のイージス艦はどのような対処が可能なのであろうか。
正解は、「目下のところ手も足も出ない」である。
すでに見たように、この艦は空母を護衛する目的で開発されており、多数の対艦ミサイル(亜音速から、せいぜいマッハ二程度)が飛来する自体には対応できるが、はるか上空をマッハ五以上で飛んで行く弾道ミサイルを迎撃するようにはできていないのだ』 p99

『米海軍はまた、弾道ミサイル迎撃能力を持つとされる、改良型のイージス艦をすでに保有しており、二〇〇六年八月末には、横須賀に「シャイロー」が配備されたが、それなら、BMDに巨額の資金を投入し続ける意味はなんなのか。
もしかして、米国の真意は、建造中のイージス艦に目をつけ、より高価なシステムを売りつけることにあるのではないか』 p104〜p105

ここまで紹介した時点でもうお分かりでしょう。林信吾氏は自衛隊のミサイル防衛配備計画について碌に把握していない事が見て取れます。

まず、「建造中のイージス艦」とは3月15日に就役したばかりのDDG177「あたご」の事だと思います(「反戦軍事学」刊行時にはまだ建造中)が、「あたご」にはBMD能力を付与していませんし、その計画もまだありません。何故かというと「あたご」級は従来の「こんごう」級の改良型でヘリコプター格納庫を持ち、インド洋派遣等の海外遠征任務に向いている為、MD艦隊としての編成には入らない為です。

そこで自衛隊は、対弾道ミサイル迎撃の為に、「こんごう」級4隻のイージスシステムを最新型に改修し、対弾道ミサイル迎撃用のスタンダードSM-3の購入を行う事にしており、すでに発注をかけてあります。今年度末年末までには「こんごう」が「シャイロー」と同様な弾道ミサイル迎撃能力を持つ予定となっています。システム改修と同時に購入するSM-3は1艦あたり9本。1発は試射を行う予定で射耗します。つまり「こんごう」級4隻で合計36発のSM-3を購入し、各艦1発ずつ試射を行い、残り32発が当面の配備数となります。

つまり、反戦平和派が「反戦軍事学」の記述を頼りにイージス艦を非難した場合、以下のように応射を喰らう事になってしまいます。

「弾道ミサイルを迎撃できない日本のイージス艦は役立たずだ」
 ↓
「今年度末年末にはイージス艦に弾道ミサイル迎撃能力を持たせます」

「アメリカは新型イージス艦により高価なシステムを売りつける気だ」
 ↓
「システム改修するのは既存のイージス艦で、既に予算も下りてます」

反戦軍事学が如何に役に立たないか、如実に物語っていると思います。著者の林信吾氏は日本のミサイル防衛計画の配備予定について何も把握しておらず、想像と憶測で物を語っています。それどころか、仮想戦記小説紛いの空想まで披露している有様で・・・。



『たしかに、対抗手段はないよりあった方がよいだろうが、それならば、ロシアからS-300と呼ばれる迎撃ミサイルを買ってきて、日本各地のレーダーサイトやイージス艦とデータリンクできるよう、管制装置を改良した方が、ずっと安価で即効性がある。
実は、韓国が一時期、ロシアとの対韓債務とバーターする形で、このミサイルの導入を検討していたが、米国からの政治的横槍が入って、断念した事実がある。
このことと、前述の、イージス艦導入の過程などを併せて考えれば、BMDが日本の防衛のためと言うより、米国の軍需産業の利益を追求しているのだと、容易に想像がつくのではないか』 p104

兵器体系の全く異なる物同士でデータリンク、相互運用しろと? 無茶を言わないで下さい。システムのインテグレーションだけ見ても凄まじい手間が掛かりますし、勿論費用も天文学的なものになりますよ。どうして「安価で即効性がある」だなんて無責任な事が言えるのです? はっきり言ってそんな面倒な作業をするくらいなら、全く新しい迎撃システムを一から作り上げた方が早く安くできますよ。

第一、仮にそういったシステムが構築されたとして、アメリカがそんな代物に向けて早期警戒衛星(DSP衛星)のデータを送ってくれる筈が無いでしょうに。

S-300には確かに対弾道ミサイル迎撃能力を持ったモデルも存在します。ですが通常型は対航空機用です。これはパトリオットのPAC-2とPAC-3の関係に似ています。ただし直撃方式の為に小さなパトリオットPAC-3とは逆に、S-300のMDモデルは近接信管を持つ大型の爆砕弾頭方式で、ミサイル自体も通常型よりかなり大きいです。これはイスラエルのMD、アロー2と同様のコンセプトです。

韓国が導入を検討したS-300は通常モデルです。基本的には対航空機用で限定的な弾道ミサイルの迎撃能力もありますが、専用モデルと比べればオマケ程度の扱いです。実はパトリオットPAC2でも改良型のPAC2GEMから、限定的な弾道ミサイル迎撃能力を付与されています。そして・・・実はアメリカからの横槍など入っておらず、ロシアとの商談は進み、韓国はロシアから技術支援を受けてコピーモデルを共同開発する仲にまでなりました。


KMSAM(韓国中距離地対空ミサイル計画) - 日本周辺国の軍事兵器
KMSAMは50kmの射程を持ち、航空機だけでなく限定的に弾道ミサイルの迎撃能力も有する予定。ロシア製のS-300地対空ミサイルか、その発展型のS-400をベースに開発されるようだ。

モックアップを見れば分かる通り、どう見ても(形状は)S-300そのままです。本当にありがとうございました。韓国はこれを単独の兵器システムとして使うつもりで、弾道ミサイル防衛として全体のシステムに組み込むつもりが無いのです。単純に野戦防空ミサイルとして使うのであったら、別にそれでもよいわけですから。(追記:4月10日の韓国聯合ニュースによると、KMSAMを大型化して弾道ミサイル迎撃に使用する計画が進行中の模様。その際もレーダー等の警戒システムは既存のシステムに組み込まず、対弾道ミサイル用の新規開発となります)


追記:弾道弾の高高度迎撃ミサイル、独自技術で開発へ
軍消息筋が10日に明らかにしたところによると、弾道弾迎撃ミサイルの開発は韓国独自の弾道・誘導弾迎撃態勢開発計画の一環で、一種の高高度防空網体系だという。軍は2011年までに開発する中距離の地対空誘導弾の性能を計量し、弾道弾迎撃ミサイルとして利用する計画だ。弾道弾迎撃ミサイルのために地対空誘導ミサイルのサイズを拡大し、固体燃料を使い射程も高高度に上げる計画だと、この消息筋は説明している。正確な迎撃を目的に、長距離レーダーも開発する計画だという。

軍は弾道弾の早期警報レーダーを2012年までに空軍と国防科学研究所が共同開発する計画を策定済みで、今年は先行研究開発費として1億ウォンを投じる。


・・・以上のように、著者・林信吾氏のミサイル防衛に関する知識は滅茶苦茶で、S-300を導入しろという意見に至っては子供の思い付きレベルと言ってよく、とてもではありませんが参考になるような記述ではありません。そもそも技術的な説明が一切無いのですから。


さてこの章「イージス艦vs.テポドン」では、イージス艦の事を「完成した時には冷戦が終わっていて無用の長物になった」とし、前章で紹介した戦艦大和も引き合いに出し、弾道ミサイル防衛についても「完成した時には無用の長物になっている可能性すらある」と警告を発しています。

しかし一方で、イージス艦は日米以外にもスペイン、ノルウェー、韓国(建造中)が保有している事も紹介されています。林信吾氏は、この事についてまずおかしいと自分で気付かなければなりません。スペイン、ノルウェー、韓国は、日本のイージス艦導入の後に自国への導入を決めています。

もし仮に冷戦終結後の日本のイージス艦導入が愚考だというなら、何故これらの国が導入を決めたのか、考えなければならない筈です。答えは、簡単な事です。もうイージス艦は決して特別な装備では無いのです。各国からイージス艦に類する戦闘システムを有した艦が登場しつつあり、イージス艦も数ある選択肢のうちの一つ、という扱いになってきているのです。マスコミはイージス艦を何か万能の戦闘艦であるかのように書きたてますが、そのような作られた神話に惑わされないことを、お願いします。

またオーストラリアは弾道ミサイル防衛に使う名目でイージス艦の導入を決定しました。このように最初に使用条件ありきでどのような種類の戦闘艦を導入するか決める例は単純明快で、現状、この条件ではイージス艦しか選択肢がありません。イージス艦は弾道ミサイル迎撃能力を獲得する事で、もはや対艦ミサイル飽和攻撃の脅威が去った冷戦後の世界に置いて、新たな役割を得たと言える事ができるでしょう。
2007年03月29日
それでは「反戦軍事学」の第二部中級編(p70〜p120)の中核部分である、その三「イージス艦vs.テポドン」を取り上げて、書評をしたいと思います。この部分の直前が、その二「海軍の基礎知識」で、その部分の内容の大半が戦艦の話となっています。戦艦大和と大艦巨砲主義。果たして今や使われなくなった兵器の説明を詳しく行って、反戦平和派にとって何の意味があるのか疑問です。そのような事をするくらいなら現在使われてる海上の主力兵器、航空母艦の説明をした方が勉強になるのに、何故、時代遅れな戦艦の話をしたのでしょうか。

それは東部戦線氏の行った書評で、その意図が解説されている通りです。

『イージス艦をけなしている部分がありますが、その直前に長々と旧海軍の戦艦大和の悪口を書いてある。大和のイメージをイージス艦にダブらせて、イージス艦が無能であることを感覚的に印象付けようとする姑息な手口としか言いようがありません』

「反戦軍事学」の著者・林信吾氏は、その三「イージス艦vs.テポドン」でイージス艦を役立たずな高価な兵器と印象付ける為の布石として、その二「海軍の基礎知識」を用意したのです。そこでも細かい間違いはあるのですが(本書の90ページでは巡洋艦の20cm砲の射程が『せいぜい25000m』とあるが、実際には30000m近い射程があるのが普通。米海軍の場合は通常徹甲弾で29000m、重徹甲弾SHSで27000m。20cm砲よりも1ランク下の15cm砲クラスでも射程25000〜27000mは届く)、戦艦と大艦巨砲主義の説明部分は、大まかには合っています。そして戦艦大和の話をもって「海軍の基礎知識編」は終わります。

しかし次の「イージス艦vs.テポドン」が始まっても暫くは戦艦大和の話が続きます。そこでも初っ端から間違い個所があり、著者・林信吾氏の軍事知識が相当古い情報で止まっている事が見て取れます。94ページで戦艦大和の最後の作戦について語られているのですが、『片道分だけの燃料を積み』とあります。しかし実際には連合艦隊参謀・小林儀作大佐の手記によれば、上層部の黙認という形で本来の命令書に反し、往復分を軽く上回る4000トンの燃料を大和に積み込ませた事が判明しています。これは戦後になってはっきりと判明した事で、新しく情報を仕入れていない人は把握していないのでしょう。こう書くと「作戦」の説明だから間違ってはいない、と反論を受けるかもしれません。ですがそれなら尚の事、実際には往復分の燃料を積んで出撃した事をそのページ内で注釈しておくべきです。

そして大和の話は次の一節で終わっています。



『さらに言えば、これはまぁ、結果論になってしまうかも知れないが、巨大戦艦の建造自体が、戦略的失敗だったのである』 p95

まさしくこれは後付けの理論で、論評するに値しません。むしろ日本帝国海軍は、他の海軍強国に先駆けて戦艦の建造を中止し、航空母艦を中心とする海軍戦力構造の大転換を始めています。

日本・・・戦艦「武蔵」 1942年8月5日竣工
米国・・・戦艦「ウィスコンシン」 1944年7月1日竣工
英国・・・戦艦「ヴァンガード」 1946年8月9日竣工
仏国・・・戦艦「ジャン・バール」 1956年5月1日竣工
伊国・・・戦艦「ローマ」 1942年6月14日竣工
独国・・・戦艦「ティルピッツ」 1941年2月25日竣工

以上が、各国が最後に作った戦艦の竣工日です。驚くべき事にイギリスとフランスは戦後になってからも戦艦を完成させています。アメリカも戦艦「アイオワ」級の5番艦「イリノイ」6番艦「ケンタッキー」を建造中止にしたものの、4番艦「ウィスコンシン」まで造りあげています。ドイツとイタリアは日本よりも早く建造を止めていますが、ドイツは空母への転換ではなく潜水艦の建造を優先する為、イタリアも同様に空母への転換の為ではなく、1943年には降伏しているので戦艦建造どころでは無かった為(「ローマ」の同型艦「インペロ」に至っては鋼材不足の為に建造中止)です。

日本は太平洋戦争開始(1941年12月8日)と同時にマル四計画の戦艦、110号艦「信濃」と111号艦の建造中止を決定しています。これは戦争が始まった以上、既存艦の修理を優先する為で、もし「信濃」の完成(1945〜1946年頃を予定)まで戦争が長引いていたらどうせ日本に勝ち目は無い為、建造を続ける意味が無い為です。また、開戦前の11月の時点で、マル五計画の戦艦(改大和級1隻と新型51cm砲搭載戦艦2隻)について建造優先順位が大幅に下げられた上に、建造一時見合わせが通達されており、ミッドウェー海戦後の1942年6月30日に改マル五計画が策定され、戦艦建造計画は無くなり空母20隻の建造を決定する事になります。

これらの日本の動きに対し、アメリカは戦争が始まってからも戦艦の建造を続けています。既に工事が進んでいたサウス・ダコタ級はそのまま戦艦として完成させるのが当然としても、アイオワ級は建造中止するなり空母に改装するなり選択肢があった筈です。完成した戦艦アイオワ級4隻の内、まともな海戦に参加できたのは「アイオワ」と「ニュージャージー」だけで、「ミズーリ」と「ウィスコンシン」は硫黄島や沖縄への対地砲撃ぐらいしか出番はありませんでした。「イリノイ」の建造中止決定は太平洋戦争終結の3日前、「ケンタッキー」は戦争初期に建造休止、その後再開、休止、再開を繰り返した挙句、最終的な建造中止は1950年のことでした。


戦艦よりも航空機の方が強い、ということが証明されたのは1941年12月10日に行われたマレー沖海戦で、日本海軍陸上攻撃機がイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈した事によるものです。真珠湾奇襲は港で身動きの取れない艦を狙ったものであり、空母の大量集中運用という新戦術の効果を知らしめたものの、洋上で戦闘行動中の戦艦に対し航空攻撃が通用するのか、まだ証明されていませんでした。しかしマレー沖海戦でイギリス海軍の戦艦、特に新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が為す術なく撃沈されてしまった事は各国に衝撃を与え、イギリス首相チャーチルに至っては戦後の回顧録で「戦争中これほどショックを受けたことはなかった」事を明かしています。

つまりそれまで、戦艦に対する航空機優位は証明されていませんでした。航空攻撃が通用するのではないか、通用するどころか戦艦はもう不要なのではないかとする「推測」はそれよりも以前から唱えられてはいましたが、実戦での「証明」が無かった為に、何処の国も戦艦の建造を止めて空母を優先するという大胆な試みを行いませんでした。「推測」が正しければ一方的な戦果を手にする事ができるでしょう、しかし間違っていたら? 航空攻撃が戦艦に通用しなかったら? その場で決戦を挑んでいたら、逆にこちらが為す術なく負けてしまいます。だから、1941年12月10日以前に建造を開始した戦艦に対し「建造そのものが戦略的失敗」とするのは後世から見た結果論に過ぎません。それまで戦艦の建造は当たり前の事だったのですから。

そしてその後の各国の戦艦建造に対する動きを見る限り、日本帝国海軍は戦艦の建造を早期に止め空母への転換を図っており、むしろアメリカの方がダラダラと戦艦建造を続け、イギリスとフランスのように戦後になってからも戦艦を完成させている有様を見ると、何故、戦艦「大和」だけが叩かれるのか分かりません。大和が叩かれるならアイオワ級も叩かれねばならず、ヴァンガードやジャン・バールに至っては問題外の筈です。

林信吾氏はイギリスに詳しいという触れ込みの筈なのに、戦艦「ヴァンガード」の存在を知らなかったのでしょうか?

・・・長々と書いたせいで、イージス艦編に入れませんでした。また次回に廻したいと思います。ご了承下さい。
2007年03月28日
さて、「反戦軍事学」の書評を再開する事とします、今回から第二部中級編(p70〜p120)の中核部分である、その三「イージス艦vs.テポドン」を中心に取上げたいと思います。・・・とその前に。

この第二部中級編は軍事雑学で構成されていて、「反戦平和派も軍事について毛嫌いせずに興味を持って欲しい」という意図で書かれています。林信吾氏は第二部中級編の最後にこう呼び掛けています。

『戦争に反対する人ほど、正しい軍事知識を身につけて欲しい』 p120

真にその通りだと思います。ただ問題な事に、第二部中級編は「間違いだらけの軍事知識」によって書かれているのです。

玉砕の説明
排水量について
日本陸軍機の命名方法
コードネームについて
航空機の分類
警務隊の権限
衛生兵の説明
非正規戦闘員の条件

以上は軍事板常見問題【林信吾関連項目一覧】で既に収録されている間違い箇所ですが、これら全てが第二部中級編(p70〜p120)の狭い範囲に集中しています。しかも間違いはこれ等だけでなく、他にも散見できるのですが、余りにも多くて一々指摘するのが面倒になるくらいです。とりあえずざっと読み返して目に付いた点を一つ上げると・・・



『しかし、その自衛隊法によって、自衛官は被選挙権がなく、政治活動も厳しく制限されている(第六一条)。自衛官が「職業軍人」でないとすれば、このような規定こそ憲法違反になるのではないか』 p78

憲法違反とは、一体どの部分を指すのでしょうか。実はこの自衛隊法第六十一条という法律は、国家公務員法第百二条と基本的な内容は変わりがありません。つまりこの種の規定は自衛隊員のみならず、国家公務員全般に対する規定なのです。


第二部中級編はその存在自体が本の主要部分ではなく、枝葉瑣末の雑学主体なのですが、あまりにも間違いが多く、このような有様で「正しい軍事知識を身につけて欲しい」などと言って欲しくありません。

人間ですから、ミスは誰にだってあります。ですが僅か50ページの中に間違いがこれだけ出てくるのは、もはや言い訳が出来るレベルではないと思います。恐らく林信吾氏は第二部中級編を書くにあたって、資料を全く確認することなく、自分のうろ覚えの記憶を頼りにそのまま書いてしまったのでしょう。およそプロの仕事とは思えないです。

・・・本題に入る前に少し長く書きすぎてしまいました。今回書く予定だった「戦艦大和とイージス艦編」は次回に回します。それではまた、今日の夜にでも。
2007年03月25日
今日は他者の書評紹介第三弾です。元マイクロソフト社員のプロのライターで、コンピュータや税制関連を中心に軍事関連本も出されている井上孝司さんです。

ただしこれは、書評というよりはそれ以前の段階での問題点指摘となります。「私はこの本のコンセプトや構成に疑問があります」と、プロの物書きならではの視点からの指摘です。


「反戦軍事学」という本: Kojii.net ココログ別館
うーむ。
なんというか、こう、あれですね。「反戦派」の人達が好んで取り上げる論点に対して、助け船を出したいという考えで構成を決めたんじゃないの、という印象が拭えません。だから、「軍事学」と銘打っている割には、軍事というものを体系立てて説明する構成になっていない。そんな印象があります。

え、「本文を全部読めば分かる」? いや、本を買うときには普通、目次をパラパラと眺めてみて買うかどうか決めることが多いでしょう。だから、目次や全体の構成ってすごく大事なわけですよ。いちいち本文を全部読んでから本を買うかどうか決める人が、どれだけいますか。

実際に「反戦軍事学」という本は、他人の批判ばかりで「○○学」と銘打って出すべき内容ではありません。(最初から批評本として出すべきだと思います)本として、しかも「○○学」として出す以上は自分自身の論説を主論として主張すべき・・・それは東部戦線さんの書評を読んでも感じられました。

井上氏は更に「反戦軍事学」こそが兵器のスペックやコードネームがどうだとか『枝葉瑣末』に拘っていて、軍事学の大系的な話を碌にしておらず、先に進めもしないと批評しています。(その枝葉瑣末部分ですら間違いだらけという点にこの本の救えなさがあります)

また、井上氏は「反戦軍事学」の読者に対してもこのような警鈴を鳴らしています。



Opinion : "反戦軍事学" より先に必要なこと (2007/3/12) - Kojii.net本館
冒頭の話にしても、「反戦派が議論に勝つために、正しい知識を手に入れよう」というのは、いささか本末転倒、結論先行型の感がある。データが仮に正しいものだとしても、それを消化する課程でバイアスがかかれば、バイアスのかかった結論しか出てこない。おまけに既存の事例を見ていると、知識を得るためのソースの選択を間違えた、あるいはソースの内容に問題があった、なんて事例もある様子。

そもそも本来であれば、「紛争・戦争の抑止を図るために、どういう対応をするのが最善なのか」を模索するのが最終目的になるはず。ところが、安全保障問題に関する知識を得ることが「ネット右翼 (本当にそういう人種が実在するかどうかは別の問題なので、措いておく) にやりこめられないようにして自分たちの主張を通すには、相手と同じレベルの知識が必要」という程度の動機なのだとしたら、その知識を現実の主張や政策に落とし込む時点でボロが出て、結果的にやりこめられてしまうのでは。

まず、知識がどうこうとかいう前に目の前の現実に向き合う態度が問題なんで、それをどうにかした方がいいと思うのだけれど、なんともかんとも。

この懸念については、私も心配していました。心理学用語に『確証バイアス』という言葉があります。確証バイアス - Wikipedia)自分に都合のいい情報だけを集めて自己の先入観を補強するという現象で、これではせっかく勉強しても都合の悪い情報から目を逸らし、意図的に無視し、結果的には何の進歩も無い人間のまま・・・そういった事は頻繁に目にしてきました。

例えば初心者質問スレッドで質問しておきながら、自分の期待する答えが返って来ず、それに不満を持ち、質問に来た初心者の筈なのに自分の自説を語り出し、「こういう答えでなければならない」と高らかに宣言する輩は、飽きるほど見てきました。

そういった「演説」の例。なおこの質問者の最初の質問はここから。

要するに自分の主張の証明が欲しかっただけで、それとは異なる回答を受け入れられず、「ちぇっ、ここは使えないな」と捨て台詞を吐いて去って行くのです。


・・・ですが私は、ほんの少しでもいい、誰かが井上氏の言うようなことに気付いて貰えればそれでよいと思っています。その為に私は、某SNSで左派の運動家と組んで、反戦平和派を対象にした軍事講座コミュニティを開きました。

希望はあります。

「徴兵制についての理解はここまで広まりました」

ここで紹介している「お玉おばさん」のような人が、少しずつですが、登場しているのですから。
2007年03月19日
今回は二つの件で重要なお知らせがあります。

まずは一つ目ですが、林信吾氏の最新著作「ネオ階級社会を待望する人々」に、以下のような記述が載っていたのです。



『ちなみに、この『反戦軍事学』という本は、いわゆるネット右翼からの攻撃を受けている。それ自体はまあ、想定の範囲内だったが、ちゃんと読みもしないで「左翼叩き」の標的にする人が多いことには、暗澹たる気持ちにさせられた。

たとえば、名古屋大学の助教授だという大屋雄裕氏など、「三分の一ほど立ち読み」しただけで、当然の結果として内容をまるっきり誤読した上で、著者(林)は頭が悪い、などとブログで悪口雑言を並べる始末だ。

万引きした商品に難癖をつけるよりひどい話で、昨今センセイの質もここまで墜ちたのかと思うと、嘆かわしい限りである』 p208〜p209

実際に本書を購入し、確認しました。つまり、大屋助教授のブログ「おおやにき」の記事「ひたぶるにうら悲し。(1)」での件は、林信吾さんご本人が著書内で語ったことにより、公式に事実であると確定されたことになります。そして現場での状況は、以下の通りです。



採点ーー不可!
講評ーー書き直すにも及ばず。
    クソして寝ろ!
Posted by 林信吾 | 2007年01月18日 11:44


朝日をこきおろすことで自己肥大してるだけのバカウヨで止めておけばよかったものを、林信吾を巻き込んだのが運の尽きだったな。

教訓ーーケンカを売るときは、相手を見てからにしましょう。
Posted by 林信吾 | 2007年01月20日 11:13

次に二つ目の件ですが、18日の日曜日の昼頃に投稿された以下のコメントに関するものです。



 みなさんに、聞いてもらいたいことがあります。
 林は勝利宣言を出した後で、もう1度、いえ、もう3度もカキコしました。
 なんのためでしょう。
 これまでの、林のネットに対するやり方を思い出してみましょう。自分を批判するブログがあると、乱入してきて、2度か3度言いたい放題を言い、あとは知らん顔。「おおやにき」が恒例です。
 それが今度は、勝利宣言の後、翌日からカキコを続けてます。
 しかもその内容ですが、まず、金曜夜のカキコです。最初は強気なのに、どんどんSJF氏に負けて行きます。まるで、最初からシナリオがあったみたいに。
 しかもその後、突然強きになて、コメントに警告とかします。警告の内容は『ネオ階級社会を待望する人々』という林の新刊の引き写しです。
 それから、『戦争に強くなる本』が加筆改訂版で文庫化されるというハナシは、『反戦軍事学』のあとがきで示唆されてます。本人しか知り得ないことじゃありません。
 しかも2度目のカキコ。この直後です。
 JSF氏に謝っちゃってます。資料が倉庫だなんて、みっともない言い訳までして。黙ってればいいのに、林らしくないです。
 しかも、書斎と執筆室と書庫が別々だって、誰も聞いてません。大邸宅?それにしても一体どういう間取りなんでしょう。
 そして3度目のカキコ。土曜朝です。
 とうとう、反省文みたいなことまで書きました。泣けます。
 それだけではありません。林がこれまで「物腰が柔らかくなった」とか、他人のコメントの一説を引用してカキコしたことなんてありましたか。
 おかしいと思いませんか?
 これじゃ、あれだけ見下してたネットの住人に対して、
「林は終わった!」
 と世界の中心で叫ぶ行為です。
 あの傲慢な林がやることと思えません。
 あくまで個人的な考えですが、勝利宣言までの林のコメントは、本もそうですけど、下品だったり寒いのは別として、文体や論旨は一貫していたと思います。
 このカキコは、なんとなく林の本を読んで文体を真似てるようにしか思えません。
 この話、続きます。
Posted by 関係者ですよ。 at 2007年03月18日 12:04


すみません。音入れ行ってました。
 実はですね、みなさんがのけぞる情報があるんですYO。
 林は金曜の夜、渋谷のダイニングバーで、数名の編集関係者と飲んでしました。年に数回、勉強会兼飲み会をやってて、キヨタニも顔を出すことがあるそうです。その場にいた人間から直接聞いたので、たしかな話です。
 しかも林は、その席で、
「ネット右翼のブログに乱入して、粉砕してきた」
 と吹聴したそうですYO!
 粉砕なんて言葉を、いまだに使ってるところがリアルです。
 しかも、
「来週から忙しいので、土日は温泉でリフレッシュしてくる」
 と言い、早朝の列車に乗るからと言って、2次会に参加しなかったそうです。
 これ、勝利宣言の内容と符合します。
 林が109付近でタクシーを止め、皆と別れたのは午後11時過ぎ、とまで聞き出しました。
 SO!金曜夜と土曜朝のカキコについては、林にはアリバイがあるんですYO!
 ばらしちゃいました。あいとぅいまてぇーん。

 JSFさん、気をつけてくださいね。
 あなたの味方が、援護射撃のつもりでやったことかもしれません。でも、反対に、林の側の人間が、なにかたくらんだのかもしれません。
 みんなの林祭りを見届けてから、また本当の本人が出てきて、バーカ、と言うかもしれません。
 でも、私の予測では、もう来ないと思います。

 追記。投書がどうのこうのも、林がたしか去年、夕刊紙かなにかに書いてたことの引き写しだと思います。
Posted by 関係者ですよ2 at 2007年03月18日 12:24

以上、「関係者ですよ。」「関係者ですよ2」名義の書き込みのIPアドレスは[6●.●4.3●.8●](一部数値を伏せて置きます)であり、これまでの「林信吾」名義の書き込みのIPアドレスと全く同一でした。このIPアドレスでの投稿は「関係者ですよ。」「関係者ですよ2」及び、今までの「林信吾」名義の書き込みの全てであり、それ以外の使用はありませんでした。

また確認を取ってみたところ、「おおやにき」で投稿されている林信吾名義の書き込みも、IPアドレスが[6●.●4.3●.8●]であり、週刊オブイェクトでの林信吾名義での書き込みと全く同じものでした。

「おおやにき」の件は、本人が著作内で言及したことにより本物であることが公式確定しているわけです。これと週刊オブイェクトで投稿されている林信吾名義の書き込みは同一IP。そして関係者と名乗り、金曜夜と土曜朝の林信吾名義の投稿をニセモノだと主張する投稿もまた、林信吾名義の書き込みと同一IPです。


・・・串も刺さずに生IPで工作活動。これが論戦に勝つ為の喧嘩のテクニックとやらなのでしょうか?
2007年03月16日
14日と15日に、「左翼なのか?編」へ林信吾さんからコメントを頂きました。14日のコメントはコメント欄の投稿に対する削除修正要請で、15日のコメントは私の記事に対するものでした。15日は特に長文です。



虚偽コメントに関するブログ主の見解が未だ明かされていないが、来週から忙しいので、もうこのへんでケリをつけておこう。
俺がJSFとやらを相手に、論争する気がないと明言した理由は、4点ある。
(1)所詮は匿名ブログだから。
(2)1円にもならないから。
(3)相手が弱すぎるから。
(4)「読者」がバカすぎるから。

以上、コメント終わり……で充分なのだが、まあ一応は本を買ってくれたようなので、少しだけ説明してあげよう。出血大サービスだ。
(1)について。
これは真面目な問題。そちらが
「この林信吾は、本当に本人か?」
と疑心暗鬼になったろうが。こちらとしては、
JSFなんてどこの誰だか分からんし、個人なのか複数なのかも分からない。
つまり「JSF」名の言論は、責任の所在がどこにも示されておらず、そこで披露される情報や知識について、信頼性がまったく担保されない。
匿名で書いている時点で、何人かを名指しして議論に挑む基本的資格がないのだ。
名大の大屋の場合とは、この点が違うのだと述べておいたし、「ウンコに素手で触りたくない」とやんわりオシャレに表現したのだが、理解できなかったようだな。
(2)について。
匿名ブロガーとプロ作家が対等だと考える、とんでもない思い上がり。
林信吾の文章には商品価値があり、著作には値段が付いている。電話取材でコメントした場合でさえ、対価が生じる。
つまり、俺が何らかの見識を披露し、報酬を得ないとすれば、それはボランティアだということになる。このブログに対してだけ、そのような奉仕をすべき理由など、どこにもない。
「逃げたらネット中の笑いものですよ」
など、ちゃんちゃらおかしい。
ならば逆に尋ねるが、ここでJSFとやらを征伐したとして、それが俺のビジネスに、一体どんな利益をもたらすのかね?ヲタは読者として想定してないと、一番最初に言ったろ?
ギャラも払わねえくせに、「来訪編」とか作ってんじゃねえよ、この小判鮫が、という話。
(3)について。
「戦車のお値段編」「銃剣突撃編」などを読んでみたが、
「大きく出た割には、こんなもんか」
というのが、俺の感想。唯一論理で迫ってきた感のある(浅かったけどな)は徴兵問題だが、これについては答えておいた。
あとは、総じて文章が稚拙で、「論」の体をなしていない。自分の軍事知識を披露したい気持ちは伝わってくるが、そもそも、『反戦軍事学』という素晴らしい本に対して、
「事実と異なる記述がある」
と言いたいのか、
「著者の認識は間違っている」
との趣旨なのか、それさえも不明確。
前者であるとするなら、公正かつ学術的に信頼できるデータと、「問題の記述」を比較してから論じねばならないし、後者であれば、『反戦軍事学』の論議の核心部分を引用し、論理的な批判を加えねばならない。
この点は、バカ田のヘタレやら頭部の線が異常な奴にも共通する。相手にする価値がない。
あとはせいぜい、俺の著作が言及していない事柄(銃剣が着脱可能だなんて、当たり前過ぎ)を取り上げては、「この人、なんにも知らないよね」式の煽りに持って行く、幼稚きわまる詭弁。
本も読まないバカヲタは煽れても、プロ作家はビクともしないと知れ。
自分の非力を棚に上げて、批判に答えろ、などとほざくでない。
(4)については、多言を要すまい。
バカと変態のパラダイスに、これ以上関わる気はない。
ついでに、俺自身が「どうでもよいこと」と明記した、イケメンだのサヨクだのといった語句に過剰反応するという、底なしのバカっぷりをさらしてるコメント欄の乱中と、ブログ主の水準は、実は大差ない。当人には、自覚がないだろうが。

(付録)
軍事ネタ書くな、とかいった声に対して。
残念でした。『反戦軍事学』が好評につき、『戦争に強くなる本』も、文庫化がすでに決まっている。軍事ネタのおかげで、ますます生活向上。笑いが止まらん。サヨク改め死の商人じゃシャレにならん、って、自分で突っ込んでどうする。
ともあれ、ネットウヨやヲタがなに言おうが、実社会はとりあっちゃいない。
思い上がりも、ほどほどにしとけ。

嗚呼……俺の好きな若手女優(『反戦軍事学』を読めば、誰だか分かるよ)が、NHK連続ドラマのヒロインに決定、というニュースを読み、
「やったね気分」
だったせいで、1円にもならん文章を書き上げてしまった。
反省しつつ、コメント終わり。
Posted by 林信吾 at 2007年03月15日 12:33

お忙しい中、大変長い文章を書き込んで頂きましてありがとうございます。



虚偽コメントに関するブログ主の見解が未だ明かされていないが、来週から忙しいので、もうこのへんでケリをつけておこう。

対応が遅れて申し訳ありませんでした。しかしコメント欄に対する削除修正要求が14日 10:27で、たった一日しか経っていないのに「未だ明かされていない」という表現は大袈裟に過ぎるような気がしますが。

削除修正要求はコメント欄の「名無し警邏課の私服神信者」さんの投稿に対するものですね、分かりました、Seesaaブログは管理者機能で他者コメントの細かい修正が可能なので、適正な対処が出来ると思います。コメント修正の説明は現場のコメント欄で行いますので、そちらをご参照下さい。



(1)について。
これは真面目な問題。そちらが
「この林信吾は、本当に本人か?」
と疑心暗鬼になったろうが。こちらとしては、
JSFなんてどこの誰だか分からんし、個人なのか複数なのかも分からない。

コメント欄の反応はともかくとして、私は最初から御本人であると認識し、一度も疑っておりません。また「JSF」は単体ですし、コメント欄はブログ主である私とは別の群体であると理解されて下さい。基本的にコメント欄での文責は書いた人にあります。私には管理責任がありますが、文責はありません。



つまり「JSF」名の言論は、責任の所在がどこにも示されておらず、そこで披露される情報や知識について、信頼性がまったく担保されない。

ええ、そうであるからこそ記事内で信頼性の置ける情報ソースの提示を行えばよいわけです。それはGoogle検索等で調べれば個人でも確認が出来ますし、こうした確認作業の積み重ねは筆者と読者の知識レベル向上に役に立つと思います。

ところで「反戦軍事学」では戦車販売で「ほとんど赤字でも輸出ならば受注するというメーカー」があるという記述が存在しますが、この情報の信頼性を確認したいので具体的なメーカー名の提示をお願いします。また「石破氏の場合、本音は徴兵制支持」という主張の根拠は何処にあるのか、示して頂けると幸いです。



匿名で書いている時点で、何人かを名指しして議論に挑む基本的資格がないのだ。
名大の大屋の場合とは、この点が違うのだと述べておいたし、「ウンコに素手で触りたくない」とやんわりオシャレに表現したのだが、理解できなかったようだな。

資格があるのかどうかという点は別に気にしていませんし、私は著者ご本人の御好意で意見を交わせて頂いているという認識でいます。コメント欄での反応は違うものもあるようですが、雑音は気にしないで下さい。

あと、名古屋大学の大屋助教授は新たなエントリー「続・ひたぶるにうら悲し」を書かれていますので、ご報告を。



(2)について。
匿名ブロガーとプロ作家が対等だと考える、とんでもない思い上がり。
林信吾の文章には商品価値があり、著作には値段が付いている。電話取材でコメントした場合でさえ、対価が生じる。
つまり、俺が何らかの見識を披露し、報酬を得ないとすれば、それはボランティアだということになる。このブログに対してだけ、そのような奉仕をすべき理由など、どこにもない。
「逃げたらネット中の笑いものですよ」
など、ちゃんちゃらおかしい。

はい、その通りです。このブログでの投稿は林信吾さんのご好意によるものであり、林信吾さんには返答をする義務はありません。投稿するもしないも林信吾さんの自由です。それは最初から理解しています。コメント欄では別の反応もあるようですが、雑音は気にしないで下さい。



ならば逆に尋ねるが、ここでJSFとやらを征伐したとして、それが俺のビジネスに、一体どんな利益をもたらすのかね?ヲタは読者として想定してないと、一番最初に言ったろ?
ギャラも払わねえくせに、「来訪編」とか作ってんじゃねえよ、この小判鮫が、という話。

そうですね、私を論理的に打ち負かす事が出来れば、それなりに箔が付くと思います。とはいえそれもネット限定での評判ですから、これを重視されないのであれば利益とならないと判断されるのも当然です。



(3)について。
「戦車のお値段編」「銃剣突撃編」などを読んでみたが、
「大きく出た割には、こんなもんか」
というのが、俺の感想。唯一論理で迫ってきた感のある(浅かったけどな)は徴兵問題だが、これについては答えておいた。

元々、主要部分と枝葉瑣末部分に分けて書いていますから。「戦車のお値段編」「銃剣突撃編」は主要部分ではなく、「徴兵制復活?編」こそが主要部であり、これに至近弾判定を頂けた事で大きな成果が挙げられたと認識しています。



あとは、総じて文章が稚拙で、「論」の体をなしていない。自分の軍事知識を披露したい気持ちは伝わってくるが、そもそも、『反戦軍事学』という素晴らしい本に対して、
「事実と異なる記述がある」
と言いたいのか、
「著者の認識は間違っている」
との趣旨なのか、それさえも不明確。

恐らく「自分の軍事知識を披露したい気持ち」とは「戦車のお値段編」「銃剣突撃編」等を読んで感じられたと思います。それらの枝葉瑣末部分の指摘は、そう受け取られても当然だと思います。

また基本的に「反戦軍事学」には事実と異なる記述が存在しますし、事実は正しいが著者の認識が誤っている記述も存在します。つまり両方存在するので、両方とも指摘しておきました。本がそうである以上、反論としてその二つはそれぞれ存在しています。



前者であるとするなら、公正かつ学術的に信頼できるデータと、「問題の記述」を比較してから論じねばならない

既に私は「徴兵制復活?編」において、イラク戦争の負傷兵の人種割合データを提示しつつ、反戦軍事学における林信吾さんの主張を否定しています。「米軍は、危険な任務を負う第一線部隊ほど、黒人やヒスパニック系の兵士が占める比率が高い」という主張は間違いです。負傷兵の割合が白人75%であるならば、米社会の人種構成比率と変わりがありません。



後者であれば、『反戦軍事学』の論議の核心部分を引用し、論理的な批判を加えねばならない。

「徴兵制復活?編」では上記の人種割合の話とは他に、石破茂氏への記述でそれが出来ていると思います。



この点は、バカ田のヘタレやら頭部の線が異常な奴にも共通する。相手にする価値がない。
あとはせいぜい、俺の著作が言及していない事柄(銃剣が着脱可能だなんて、当たり前過ぎ)を取り上げては、「この人、なんにも知らないよね」式の煽りに持って行く、幼稚きわまる詭弁。

その反論では的外れな上に、自滅行為です。

何故なら、反戦平和派はそういった"当たり前の常識"を知らないのです。銃剣がどのライフルにも装着可能だという事を知らないのです。軍事常識を知らないからこそ軍事入門書を手に取ろうとしているのです。それなのに"当たり前の事"をきちんと説明していない、この「反戦軍事学」という本が反戦平和派に薦められないものになっているということを、林信吾さん、貴方は理解していません。

「反戦軍事学」での記述では、「八九式は精密な新型小銃でありながら、チャンバラをやるための銃剣を装着している」とあります。この書き方では銃剣装着に関する常識を知らない反戦平和派は、「精密な新型小銃に銃剣を装着することは時代遅れで愚かな事なのだ」と認識してしまいます。もしこのような勘違いをして自衛隊装備を叩きに走ったら一瞬で返り討ちに遭うでしょう。

この本の主旨は反戦平和派の為の、軍事入門書の筈です。それなのに読者層が軍事常識を知らない人達であることを考慮していない記述をしているようでは、この本を反戦平和派に薦める事は出来ません。反戦平和派にとって、役に立たないのです。



本も読まないバカヲタは煽れても、プロ作家はビクともしないと知れ。
自分の非力を棚に上げて、批判に答えろ、などとほざくでない。

私は元々この書評シリーズの連載を、反戦平和派に対し「この本に騙されるな」と呼び掛ける目的で始めました。コメント欄の人達の中にも、私の意図を間違えて捉えている人も多かったようですが、今回は直球勝負です。私の呼び掛け対象は最初から反戦平和派です。

またコメント欄の人達の中には「批判に答えろ」という要求をする人も居るようですが、既に説明しているとおり、答える義務は林信吾さんには無く、気が向いた時にでも答えて頂ければ結構です。



(4)については、多言を要すまい。
バカと変態のパラダイスに、これ以上関わる気はない。
ついでに、俺自身が「どうでもよいこと」と明記した、イケメンだのサヨクだのといった語句に過剰反応するという、底なしのバカっぷりをさらしてるコメント欄の乱中と、ブログ主の水準は、実は大差ない。当人には、自覚がないだろうが。

ええ、コメント欄の皆さんがウヨサヨ論争に過剰反応していたので、その無意味で不毛な論争に片を付けるべく、「左翼なのか?編」で軍事ライターの清谷信一氏のコメントを紹介しました。もうこれで「論争」は発生しないと思います。論争する意味すら吹き飛ばしましたから。



(付録)
軍事ネタ書くな、とかいった声に対して。
残念でした。『反戦軍事学』が好評につき、『戦争に強くなる本』も、文庫化がすでに決まっている。軍事ネタのおかげで、ますます生活向上。笑いが止まらん。サヨク改め死の商人じゃシャレにならん、って、自分で突っ込んでどうする。

文庫化おめでとうございます。経済界出版から2001年に出た本の文庫化ですね。気が向いたらこれについても書評して見ようかと思います。

なお「反戦軍事学」の書評はこれからも続きます。近日中にイージス艦と戦艦大和編、MDに関する記述などを題材として記事にする予定です。
2007年03月11日
林信吾氏は、一般的な意味で言う左翼ではないと私は思います。「序章」でも紹介したように、林信吾氏は護憲論者というわけではありません。「反戦軍事学」の表紙カバー折り返しにある、

『"右傾化"が止まらぬ日本に、リベラル派から超巨大爆弾!』

という煽り文句は朝日新聞社の編集の人が書いた文章でしょうし、厳密に言えば左翼=リベラルというわけでもありません。(広義ではリベラルは左翼に分類される)

その一方で「左翼を自認するミリオタ」さんは、左翼のイメージが悪くなってしまうと心配し、「林は左翼じゃない」と反論する人も現れました。そこで林信吾氏自身の認識を見てみる事にしましょう。「反戦軍事学」の39ページより。



『兵器や軍事用語の知識を披露すると、どうも危ない人間だと思われがちである。

軍事オタクくらいならまだしも、戦争をやりたがるような、右翼・軍国主義者といった目で見られてしまうことがある。

しかし私の場合、これまで右翼と呼ばれたことはない。サヨクだのイケメンだの、どうでもよいようなことはよく言われるが』 p39

軍事マニアは大抵が、右翼からは「サヨク」と罵られ、左翼からは「ウヨク」と罵られる運命にあります。これは軍事マニアが中道だというわけではありません。軍事的視点でものを考えていくと現実的な路線を選択する事になり(無謀な軍事作戦を支持はできないし、かといって無防備でも安心などと思えるわけが無い)、右翼からは「弱腰だ」、左翼からは「好戦的だ」と罵られる羽目になります。

ところが林信吾氏は兵器や軍事用語の知識を披露しても、右翼呼ばわりされたことが一度も無いようです。左翼呼ばわりされた事の無い軍事マニアなら結構多そうですが、右翼呼ばわりされた事の無い軍事マニアは珍しいでしょう。一体、何故なのか。

これは恐らく、あの有名な事件が尾を引いているせいなのだと思います。



立場や感情の問題ですはないでしょうか。
あとは見方の問題でしょう。冷たく聞こえるかもしれませんが、祭りと革命に死人は付き物です。だからある程度の死人がでても仕方ない、それがぼくの見方です。
 猪瀬さんも林信吾も学生運動してましたが。別にそれがを問題にすることもありません(林信吾にいたっては14歳の時に革命資金調達のため郵便局強盗を計画、逮捕されました。これおは寺山修司や猪瀬さんもエッセーで書いてます)。現に今も右から左までつきあいは広いですし、ブログを見れば分かるように右でも左でも正しいことは正しいと評価しているつもりです。
学生運動に参加したあるパーセンテージの当時の若者は真剣だったでしょう。
キヨタニ 2005/09/02 13:33

林信吾氏と共著を書いた関係でもある軍事ライター、清谷信一氏の公式サイト『魁!清谷防衛経済研究所 ブログ分室』の記事、「樺美智子の死は「悲劇」か?」のコメント欄より、キヨタニ(清谷信一氏本人)氏の弁です。

寺山修司アジテーション「走る大論文」、林少年論。

所謂、林少年の事件簿
2007年03月10日
さて、今度は「序章」「来訪編その一」にそれぞれ一つずつ、林信吾氏からコメントを頂きました。なんだか私の主張に対して答えて頂けず、コメント欄の反応ばかり気にされているようですが・・・



なんだ、やっぱりこんなレベルの反響しか還ってこなかったか。
がっかりだよ!
大手ブログが聞いて呆れるわ。
まず、自分らは匿名で好き勝手なこと書いといて、マナーがどうとか、寝言は寝てから言えよ。
大屋の場合は、名大助教授だと肩書きまで明かした上での、いわば確信犯だから、こっちも相応の返礼をしたがな。
その点、名無しのTバックやら東武のバイト君みたいな連中相手に実戦仕掛けたら、こっちの名折れになるだけってこと。
まあ、どうせ社会経験もろくにないだろうヲタやウヨにこれを説いても、理解できないだろうが。
パワーが感じられないのは、当たり前。ウンコに素手で触りたくないから。

以上、確定申告を済ませて重税に激怒してる作家のコメントでした。

Posted by 林信吾 at 2007年03月09日 12:38


もう少しまともなブログかと思っていたのだが、コメント見てがっかりしとります。
書き込んだ連中のうち何人が、『反戦軍事学』(朝日新書)をまともに読んでいるのか。
批判に答えない、との指摘もあるが、答える意味が、そもそもないんだよ。
ネット情報がなぜ信用されないかと言うと、責任の所在を明かさないまま、好き勝手なことを書けるからで、ソースとして使うわけにはいかない、というのと同列の問題。
それから、コメントの中に、韓国人差別ネタなどが混じってきておる。管理者、しっかりしろ。

ところで、ウヨの諸君にちょっと聞きたい。
これだけ書き込みがあって、小林よしのり氏や上坂冬子さんを擁護する人間が現れないのは、どういうわけだ?
(1)林信吾の論理の前に、ぐうの音も出ない。
(2)彼らは実は、ウヨからも嫌われている。
(3)ネットウヨは、そもそも本など読まない。

質問しておいて、予断もあまりよくないが、どうもコメントを見る限り(3)だと見たな。
それならば、雑魚ウヨという表現はやめる。
今後は「蠅ウヨ」にしよう。
ウンコブログにたかってぶんぶん騒いでるだけの諸君には、ちょうどよいネーミングでないかい?
Posted by 林信吾 at 2007年03月09日 13:47

さて、先ずは最後の質問から答えましょう。簡単に言うと、当ブログのコメント欄に書き込んでいる人たちの多くは「軍事マニア」ないし軍事ネタを拾いに来ている人であって、自分の事を右翼だと思っている人は殆ど居ないであろうという事。

そして軍事マニアにとって「小林よしのり」の評判は非常に悪く、嫌われているという事。(軍事板常見問題より)また靖国問題についてさほど関心が無い人が多いので、「上坂冬子」については無関心であるという事。

以上の点から三択の中で一番近いのは、(2)ですが、そもそも「軍事マニア=右翼」という図式は成り立たないので(左翼で軍事マニアという例は幾らでもあります。有名所では宮崎駿など)、少し違うかな、という印象です。また、私の「反戦軍事学」の書評がまだ始まったばかりで、小林よしのり氏や上坂冬子さんに関する所をまだ紹介していないのですから、擁護するも何もそれ以前の段階の筈です。擁護する人が現れなくて当然です。



それから、コメントの中に、韓国人差別ネタなどが混じってきておる。管理者、しっかりしろ。

当ブログでは以前からその手の脈絡の無い嫌韓ネタについては厳しく対処がされてきた筈ですが、今回は何処でそういった箇所があったのでしょうか。管理人として対応しますので具体的箇所を指し示してください。



もう少しまともなブログかと思っていたのだが、コメント見てがっかりしとります。
書き込んだ連中のうち何人が、『反戦軍事学』(朝日新書)をまともに読んでいるのか。
批判に答えない、との指摘もあるが、答える意味が、そもそもないんだよ。

雑音は無視されて結構ですので、私による批判についてだけ答えて頂ければよいと思います。場所は「来訪編その一」及び「来訪編その二」に纏めてあります。それでは宜しくお願いします。
2007年03月09日
「来訪編その一」に続き、『朝日新書「反戦軍事学」を読む〜序章〜』に来訪された林信吾氏のコメントの二つ目と三つ目を紹介します。「銃剣突撃編」には答えて頂けませんでしたが、枝葉部分ではない、本の主要主張部分である徴兵制に関して批評した「徴兵制復活?編」に関して答えて頂けました。これを中心に紹介していきます。



ああ、そうか。徴兵制問題のコメント、忘れてた。
あの批判はまあ、至近弾ではあった。
今の日本で大上段から徴兵制を唱えてるのは、大した連中じゃないのは事実。
石破氏の場合、本音は徴兵制支持なのだろうが、軍事知識も一応あり、政治家としてのスタンスもあって、奥歯に物が挟まったような表現しかしない。俺がそれを逆手に取ったのも事実。元防衛庁長官だから、ターゲットとして恰好だったことも認めよう。
ま、ケンカには腕力だけでなくテクも必要ってことなんだが、それを「あざといやり方」と受け取る読者がいることも、また事実だろう。受け取り方は自由だしね。
それはそれとして、だ。
お前なあ、プロに向かって「とりあえず反論どうぞ」はないんじゃあ、ないの?
俺の原稿料、幾らだか知ってんのか、って話。
本当はカネの問題でもないんだか、ネットの住人てのは、ウヨサヨ問わず、こういう失礼な奴が多いんだよな。
諸々のコメントについても、同様。
訴えてやる攻撃なんかしてるヒマはないし、雑魚ウヨの2匹や3匹退治するのに拳銃など不要だが、遊んでる時間もない、ということ。
では、これにて。
Posted by 林信吾 at 2007年03月07日 22:03


折角だから、もうひとつだけ。
近々発売される『週刊朝日』に、俺と潮匠人氏との対談が載る。
「論戦」とは具体的にどうやるものだか、これでも読んで勉強しなさい。
これも繰り返しになるが、著作をちゃんと読んだ上での批判は、俺は基本的に歓迎する。マチガイの指摘も、当然ながら歓迎。
そのことと、逐一答えるヒマがあるかどうかは別問題。今日はたまたま、出張明けだったので、このブログはある意味、ラッキーだったのかな。
Posted by 林信吾 at 2007年03月07日 22:11

確かにラッキーでした。著者ご本人とコメントを交わせる機会は滅多に無いですからね。



あの批判はまあ、至近弾ではあった。
今の日本で大上段から徴兵制を唱えてるのは、大した連中じゃないのは事実。

認めて下さいました。これにより「反戦軍事学」の142ページから143ページに書かれている「徴兵制復活論が幅を利かせている」という主旨の主張は、著者本人の言によって否定されました。



石破氏の場合、本音は徴兵制支持なのだろうが、軍事知識も一応あり、政治家としてのスタンスもあって、奥歯に物が挟まったような表現しかしない。

石破氏の「本音」とやらを勝手に決め付けるのはよくありません。それは貴方の想像に過ぎないのですから。林信吾氏、貴方は「石破氏は徴兵制論者ではない」と反戦軍事学で言い切っていた筈です。それなのに貴方は「石破は本音では徴兵制論者なのだ」と決め付けるのですか。



俺がそれを逆手に取ったのも事実。元防衛庁長官だから、ターゲットとして恰好だったことも認めよう。
ま、ケンカには腕力だけでなくテクも必要ってことなんだが、それを「あざといやり方」と受け取る読者がいることも、また事実だろう。受け取り方は自由だしね。

「それ」とは「奥歯に物が挟まったような表現」を指しているのでしょうが、前提となる「石破氏の場合、本音は徴兵制支持なのだろう」が林信吾氏の憶測でしかない以上、あざといやり方以前にテクニックとしてもスマートではありません。

さて、「逆手に取る」とは、“相手の反論・攻撃などを逆に利用してやり返すこと”と大辞林に載っています。つまりカウンター攻撃やブーメランの事です。つまり私が今、林信吾氏に対して行っている事こそが「相手の主張を逆手に取る」事だったりします。

ところで林信吾氏、私が「徴兵制復活?編」の後半で指摘している、『危険な任務を負う第一線部隊が黒人やヒスパニック系ばかりであるという主張は間違いである』という部分について、何か意見はございますでしょうか? 

是非とも反論をお待ちしています。



俺の原稿料、幾らだか知ってんのか、って話。

これは私に向けてのコメントではないのですが、私は出版社の編集者さんやプロのライターさん、小説家さんが知り合いに居ますので、今度ついでに聞いておきますね。
2007年03月07日
現在連載中の反戦軍事学書評シリーズの第一回目、『朝日新書「反戦軍事学」を読む〜序章〜』のコメント欄に、著者ご本人である林信吾氏が来訪されました。



出張中につき、しばらくネット見てなかったのだが、皆さん、色々と書いてくれてますなあ。
今、忙しいのだけど、著者コメントが期待されているようなので、簡単に。
「戦車の値段について」
『反戦軍事学』という素晴らしい本の中で俺が指摘したのは、「国際相場」に比して、90式は高額であるという事実と、その理由。もっと高い戦車があるそ、と言われてもね。
 いわゆる防衛産業への自衛隊幹部の天下りの問題については、なぜ誰もツッコミ入れないのか理解に苦しむ。
「東部戦線」とやらの批判について。
感情的な反発だけ。まともに読まずに著者をけなした名大のバカと大差ないな。
 作家たる者、著書を批判されるのは常に覚悟の上だが、あまり見当違いなことを書かれるのは迷惑だな。そもそも、軍ヲタを読者として想定していないのだし。
「諸々のコメントについて」
中には面白いのもあるが、大半は
※軍ヲタのひとりよがり。
 もしくは、
※ネットウヨが言いそうなこと。
 という域を出ていない。
 雑魚ウヨと遊んでるヒマはないので、無視。
 悪しからず。

 ちゃんと読んだ上での批判ならば、基本的に歓迎。以上、著者でした。
Posted by 林信吾 at 2007年03月07日 12:30

安心しました。「ちゃんと読んだ上での批判ならば、基本的に歓迎」と仰られています。私としても、本を購入し読んだ上で、書いてある事、その意図を読み間違えずに、きちんとした書評を心掛けていきたいと思います。

では早速、この林信吾さんからの反論をチェックしていきましょう。



「戦車の値段について」
『反戦軍事学』という素晴らしい本の中で俺が指摘したのは、「国際相場」に比して、90式は高額であるという事実と、その理由。もっと高い戦車があるそ、と言われてもね。

いいえ、私はそのような反論を行ったのではありません。私が「戦車のお値段編」で説明したことは、戦車の国際相場価格(西側第三世代現行型)は安くても8億円前後であり、高いものは15億円を超えている為、90式戦車の値段(調達価格)は決して高くないと主張しているのです。

既にコメント欄でも指摘されていますが、林信吾氏が著書で書いているM1A2やレオパルト2の価格は「生産した自国への価格」であり、国際取引価格ではありません。購入国が払う金額が「国際相場」となるのであり、国外への兵器の販売価格は生産国の自国調達価格から1.5〜2倍くらいになるのが普通です。

結果として林信吾氏が「90式よりも安い戦車」だと紹介したM1A2やレオパルト2は、日本が買おうとすると90式戦車の調達価格と同程度かより高くなってしまいます。日本国内で採用する場合のことだけを考えればよいのですから、国産戦車の国内調達価格と他国戦車の国際販売価格を比較して決める事になります。

林信吾氏、「国際相場」に比して90式は、けっして高くないのです。ところで林信吾氏、貴方が本に書かれている「ほとんど赤字でも輸出ならば受注する、というメーカー」を具体的に挙げて見せてください。



いわゆる防衛産業への自衛隊幹部の天下りの問題については、なぜ誰もツッコミ入れないのか理解に苦しむ。

突然、話が飛ぶのですね。で、天下りがあったとして、90式戦車の調達価格が他国戦車の国際販売価格と比べて高くないことには変わりがありませんよ。

天下りの問題自体は認識しています。問題だと主張したい方が主張なさってください。ですが軍人が軍需企業に天下りすることは何処の国でも普通に行われていることで、完全に無くすことは出来ないし、何処の国でも行われているのなら「国際相場」への影響は相対的に見て特にないでしょうね。



「東部戦線」とやらの批判について。
感情的な反発だけ。まともに読まずに著者をけなした名大のバカと大差ないな。

これでは中身がありません。もっと具体的な反論をお願いします。

とりあえず東部戦線氏が指摘している「日本に軍が復活したときにこういう体罰が復活すると考える根拠は示されていません」という部分への反論をお願いします。



作家たる者、著書を批判されるのは常に覚悟の上だが、あまり見当違いなことを書かれるのは迷惑だな。そもそも、軍ヲタを読者として想定していないのだし。

では「見当違いな批判だ」という部分を具体的に挙げて見せてください。また、読者としての想定が反戦平和派に対してだからこそ、正確な知識を教える事が重要なんです。何故ならば反戦平和派が軍事知識を勉強しようとする理由は、論戦で言い負かされないようにする為だからです。「反戦軍事学」を頼りにできるかどうかが問題なんです。



「諸々のコメントについて」
中には面白いのもあるが、大半は
※軍ヲタのひとりよがり。
 もしくは、
※ネットウヨが言いそうなこと。
 という域を出ていない。
 雑魚ウヨと遊んでるヒマはないので、無視。
 悪しからず。

では「中には面白いのもある」というものだけ相手をしてくださって結構です。それでは面白いという箇所は何処か、教えて下さい。



ちゃんと読んだ上での批判ならば、基本的に歓迎。以上、著者でした。

私もちゃんと読んだ上での批判を心掛けていきたいと思います。それでは「徴兵制復活?編」「銃剣突撃編」についても検証して下さい。また、書評シリーズの連載はまだまだ続きます。今後とも宜しくお願いします。
2007年03月06日
昨日の戦車編に続き、「反戦軍事学」の42ページから始まる小銃に関する話を考察していきます。筆者の林信吾氏はまず自衛隊で使われている89式小銃の批判を行っているのですが、その内容の殆どが間違っており、合っているのは値段くらいのもの・・・という有様でした。(勿論、値段の話はとても重要な項目ですが)



『この銃は、引き金を引くごとに一発ずつ発射するセミ・オート、さらに、三発ずつ発射する三点バースト、そして連続して撃ちまくれるフル・オートと、三段階の発射機構を備えている。

三点バーストは、たしかに動く標的を狙う際に有効ではあるが、こういう凝った設計をすると、機構が複雑になり、部品数が増え、故障する確率が高くなる。戦場という過酷な環境で使用することを考えると、故障しやすい=信頼性が低いというのは、致命的な欠陥であると言っても過言ではない』 p42

バースト機構の利点はフルオートに比しての弾薬消費量抑制にある筈で、有効であるとする説明が根本的に間違っています。そもそも、動く標的を狙う際にバースト機構はフルオートと比べてどう有利なのでしょうか?

そして、2発ないし3発バースト機構は、最近の新型自動小銃には大抵採用されている機構です。例えばドイツ軍の新型小銃、G36は2発バースト機構が付いています。林信吾氏はこれも欠陥品だと仰りたいのでしょうか。ロシア軍も新型のAN94に2発バースト機構を組み入れていますし、古くからあるフランス軍のFAMASにも3発バースト機構が備わっています。

そもそもアメリカ軍の一般兵用のM16やM4は3発バーストとセミオートしかなく、フルオート機構は意図的に外されています。これはベトナム戦争の教訓で、弾の無駄撃ちを防ぐ為なのですが、M16のバースト機構は構造上問題があり、この方針には疑問の声が上がっています。(軍事板常見問題より)アメリカ軍は、特殊部隊用の小銃には逆にバースト機構を廃してフルオートを復活させています。これは特殊部隊クラスの腕前なら無駄撃ちする事が無い為です。

なお、自衛隊の89式小銃の3発バースト機構はM16の物とは構造が異なり、射撃途中に引き金から指を離したらバーストカウンターは自動的にリセットされます。そしてこの機構はメンテナンスを容易にする為にユニット化されており、簡単に外す事も可能です。外してセミオートとフルオートだけの小銃として使う事も出来ます。つまり仮に林信吾氏が言うように3発バースト機構が欠陥であったとしても、前線部隊レベルですぐに外すことが出来るので大きな問題とはなりません。

そうなると、主要国の小銃でバースト機構を最初から備えていないのはイギリス軍のL85(SA80)くらいですが、実はこれ、あまりにも酷い欠陥小銃と酷評されています。重い上に弾詰まりが非常に多く、自分達ではどうやっても直せず、ドイツのH&K社を一時的に傘下に収めていた頃にこれを改修させたのですが、出来上がったL85A2はかなり良くなったもののそれでもまだ水準レベルには遠く、まだ使い続ける気でいるイギリス人は、もう意地になっているとしか思えません。・・・ところで林信吾氏はイギリス滞在暦が長かった筈ですが、この辺の事情を知らなかったのでしょうか。バースト機構の有る無しだけで欠陥かどうかなど決まったりはしないのです。



『事実、この小銃はメンテナンスが面倒だと、現場の自衛隊員からは評判が悪い。本格的な分解掃除をする場合、全ての部品を洗浄液に半日漬けて、それから組み立てる、ということまでしている』 p42

どうもこれ、64式小銃の評判と混同してないですか? 

【追記】
コメント欄で現役自衛官や元自衛官の方が仰られていますが、林信吾氏の言うような事実は無いそうです。



『こうした実用的と言いかねる設計は、コスト面でも問題を生じさせている。この銃は一丁が三十四万七〇〇〇円もするが、小銃の国際相場など五万円以下なのだ』 p42〜p43

小銃の国際相場は5〜10万円です。5万円以下では一昔前のモデルしか買えません。とはいえ89式が非常に高いことは確かです。これは一度に大量調達することが出来ず、長期に渡って細々と造ることになり、文字通りの手造り状態と化してしまったからです。

値段が高いと言う指摘は正しいのですが、高くなった理由が設計にあるとしている点で的外れだといえます。高くなったのは単年度会計などを起因とする量産体制の都合上であり、89式の構造自体はオーソドックスに纏め上げられていていますし、ましてやバースト機構が高くなった原因であるとするには無茶があります。第一、諸外国の小銃の殆どはバースト機構を備えているのですから。



『更に言えば、八九式は精密な新型小銃でありながら、チャンバラをやるための銃剣を装着しているが、M4の方は超小型の大砲とも言うべき、グレネード・ランチャーを銃身の下に取りつけている。これは口径四〇ミリの小型爆弾を、三〇〇メートル先まで飛ばせる物だ。実戦において、どちらが威力を発揮するかは、考えるまでもないだろう』 p43

もうこの辺の主張に至っては意味不明です。銃剣ならば89式に限らずM4にだって取り付ける事が出来ます。世界中の殆ど全ての小銃は着剣機構を標準装備しています。銃剣を付けているから設計思想が古いと言い張るのなら、世界中全ての小銃に対してそう言う気なのですか。言っていることが無茶苦茶です。

一方で林信吾氏は、M4にはグレネードランチャーを取り付けられるから優秀だと褒めているようですが、M4に取り付けられるアッドオン式のM203グレネードランチャーは、世界中のあらゆる小銃に取り付けられるよう設計されていています。「M203PI EGLM System」で紹介されている通り、M16やM4以外にG3、AUGどころか短機関銃のMP5にすら付きますし、やろうと思えばAK47にも装着することが出来ます。「Howa Type 89 - Wikipedia」では"Attachment of the M203 grenade launcher is possible with the proper adapter."と、89式にもアダプターを取り付ければ装着は可能とされています。

ただし自衛隊はM203を採用する気が無く、昔ながらのライフルグレネード(小銃擲弾)を装備する事にしています。実は自衛隊でもM203の評価試験は行っているのですが、その上で不採用になっています。(伝え聞く話によると「試験中に暴発した」とか「水平発射時の不発率があまりにも高かった」とか)ただし実際に米軍の使用実績でもM203は不発率の高さは問題となっています。


防衛省技術研究本部 開発が完了した主なもの画像
1.06式小銃てき弾
普通科部隊等に装備する、専用の薬筒を使用せず小銃弾で射撃可能な小銃てき弾です。

とはいえライフルグレネードは発射時にどうしても銃本体を痛めてしまうので、あまり褒められた装備でもないのですが・・・

最後に話を少し戻して、銃剣の話をします。流石に現代戦で大規模な銃剣突撃を行うことはもう殆ど無いでしょうが、対テロ戦での近接戦闘で銃剣の有用性は再認識されつつあります。元々、小銃に銃剣は標準装備、一部の機関銃や短機関銃でも装着可能だったのですが、最近ではとうとう拳銃に銃剣が付くようになりました。(Cz75 SP-1 Tactical

流石に拳銃に銃剣は一種のお遊びだと思うのですが・・・基本的に銃剣は、倒した敵が死んだ振りをしていないか確認する為に突付く為や、平時のパトロールでの威嚇効果など、そういった目的が主なものです。

ところが近年、実戦で銃剣突撃が行われました。
以下引用です。



「2004年5月16日、我が英国陸軍Argylland Sutherland Highlanders の20名の部隊がアマラ近郊でランドローバー乗車でパトロールを行っていたところ、大規模な敵の待ち伏せに遭遇、機関銃及びRPGの猛攻を受けた。
 形勢を不利と見た指揮官はフォークランド以来の銃剣突撃を敢行、結果英軍側は3名の負傷者のみであったにもかかわらず、敵は35名もの死傷者を出し撤退した。英国陸軍万歳!」
by 英国老人◆Uy1cjqnioo in 「軍@ふたば」,2006/06/14(水)23:39

本当だろうかと「Bayonet charge IRAQ」で検索を掛けてみると、テレグラフ誌の記事に'I bayoneted people. It was me or them'とあります。脚色はされているようですが、実際にBayonet(銃剣)による突撃で敵を蹴散らした事実がありました。世界で一番、銃剣突撃に拘っているのはきっとイギリス人です。

L85(SA80)小銃やこの銃剣突撃の話、更にチャレンジャー2戦車・・・林信吾氏はイギリス滞在暦が長く、イギリスについて詳しい筈なのに、何故か「反戦軍事学」ではイギリス軍が紹介されていません。筆者独自の視点を出す為には、自衛隊とイギリス軍の比較をする等の特徴が有った方が良かったのではないでしょうか。同じ島国であり、地政学上の類似点や、アメリカの同盟国という立場など、比較するには絶好の対象だと思います。
2007年03月05日
本編第二回目は枝葉の部分を見て行きましょう。兵器関連の話題、特に自衛隊の装備についての話を中心に挙げて行きたいと思います。

先ずは第一部入門編より。



『陸上自衛隊が使用している国産の九〇式戦車は、一両八億円する―と聞いて、あなたはどう思うか。

もちろん、八億円を「安い」と感じる人は、あまりいないだろう。しかし、本当のところ、戦車の値段が八億円とか九億円とか言われても、それが果たして安いのか高いのか、判断できない人が圧倒的に多いのではないだろうか。

実はこの戦車は、国際相場からすればバカ高いのである』 p39〜p40

この手のネタはもう食傷気味です・・・

90式戦車     8億円
ルクレール    9億7000万円
チャレンジャー2 11億3800万円

西側第三世代戦車で比較して見ても、バカ高いとは言えません。特にフランスのルクレール(Leclerc)戦車は、日本の90式戦車とほぼ同時期に登場している上に両車とも自動装填装置を備えているのでよく比較されますが、90式戦車よりも高価な戦車です。イギリスのチャレンジャー2戦車が更に高価なのは少し意外な感じを受けるかもしれません。

とはいえ上記の三戦車はルクレールがアラブ首長国連邦(UAE)に売れた以外の国外販売実績を持たず(訂正:チャレンジャー2はオマーンに38両を販売実績あり)、数百両程度の生産に留まっています。これに対しアメリカ、ドイツ、ロシアの戦車はベストセラーとして数千両が生産・輸出され、単価が安くなっています。アメリカのM1戦車とドイツのレオパルト2戦車は一両5億円前後、ロシアのT-90戦車は3億円前後と確かに安いです。(T-90は性能的に西側第三世代戦車との直接比較は出来ない)

ただし注意しなければなりません。T-90の価格は国外販売価格での国際相場ですが、M1とレオパルト2の価格は本国での国内調達価格であり、国外に売る場合は1.5掛けくらいされるのが普通です。兵器販売は殿様商売も多く、2掛けもそう珍しいことではありません。



『イラク戦争でも活躍し、米陸軍の主力戦車となっているM1A2は、主砲こそ九〇式と同等の一二〇ミリ砲だが、格段に進んだ電子装備を持ち、味方の戦車はもとより偵察機や衛星とも瞬時にデータのやりとりができる。それでいて、価格は一両およそ七億八千万円と、九〇式よりも安いのだ』 p40

湾岸戦争後、サウジアラビアが購入したM1A2の新品が約15億円。サウジは新品だけでなく、M1A1の中古車をA2相当に改装した車両も購入していますが、これでも10億円を超えています。

またオーストラリアが2003年に、M1A1の電子部品を新型に交換した(注:A2相当ではない)中古車を、一両約6億5000万円で購入しています。



『では、性能面で九〇式と互角の戦車はと言うと、ドイツのレオパルト2A5が挙げられるが、こちらは一両五億円するかしないかである』 p40

スウェーデンに輸出されたレオパルト2A5(Strv.122)の販売価格は一両約8億円です。(10億円超とする資料もありますが、それは同時契約されているStrv.121改修費用と混同している模様)



『冷戦終結後、戦車の相場は下落し、ほとんど赤字でも輸出ならば受注する、というメーカーが幾らでもある。どうして国産に拘らなければならないのか、理解できない』 p40

そんなバナナの叩き売りのような事をしているメーカーは、聞いた事がありませんが・・・具体的な会社名を教えて欲しいです。

国産に拘る理由ですが、戦車の"国際相場"と国産のコストが大して変わらないなら、国産に拘るにはそれだけで十分であると言えます。勿論、90式を国外に売るとしたら国内調達価格から更に高くなり、レオパルト2等よりも販売競争力は低くなります。ですが日本は兵器を国外に売ることは出来ないのでそのようなことを考える必要がありません。日本国内で採用する場合のことだけを考えればよいのですから、国産戦車の国内調達価格と他国戦車の国際販売価格を比較して決める事になります。

もちろん、性能が最重要な案件です。当然の事ですが、自国の国土での運用に適した戦車でないと、満足な機動や射撃が行えない可能性があります。90式戦車は西側第三世代戦車で最軽量の50トンです。それでも重いと批判がなされ、実質的に北海道専用装備となっています。(本州には富士教導団に2個中隊分が配備されている)他国の第三世代戦車は60トンを超えるものすらあり、適していません。ロシアのT-90は46トンと軽いのですが、平坦な大地で使用することが前提で主砲の俯仰角が小さく、高低差の大きな場所への射撃が出来ない上、稜線射撃(丘の後方に車体を置いて砲を俯角にし、車体を隠して射撃する)にも向いていません。そもそも政治的に日本がロシア戦車を採用することは無理ですし、T-90は値段が安い分、性能もそれ相応です。

国土の地形に山岳が多い日本と韓国は、自国生産の戦車のサスペンションを油圧制御とし、車体自体の姿勢を変える事で主砲の俯仰角を大きく確保しながら低い車高を実現しています。(車高が低いロシア戦車は砲の基部が天井に干渉しないよう、主砲の俯角が小さい)これにより待ち伏せ射撃の被発見率を低くする事が出来ます。

韓国は次世代戦車XK2の評価試験に入りました。来年まで陸軍で試験を行い、2年の量産準備期間の後、2011年に配備されます。予定調達価格は一両あたり83億ウォン(10億2806万円)。スペック上はフランスのルクレールによく似ており、ロシアの対・対戦車ミサイル自動防御システムの採用の他、韓国の地形に合わせた転輪サスペンション油圧コントロールによる姿勢制御システム(全転輪に採用、前後だけでなく左右も姿勢制御できる)、高い渡河潜航可能深度(4m)などの特徴が挙げられます。

K2戦車(XK-2/韓国次期主力戦車) - 日本周辺国の軍事兵器 -

日本でも次世代戦車TK-Xの開発が進んでいます。2009年度での開発完了、2010年度での装備化を目指しています。特徴として重量を40トン級に押さえて戦略機動性を確保し、本州での本格配備を可能にしています。

TK-X - Wikipedia

日本も韓国も、戦車の自国生産に拘っています。それは、そうしないと自分達が望む最適な戦車が得られないからです。自国の国土に適した戦車が必要とされており、諸外国の戦車に該当するものが無く、自国の技術力が戦車の生産を可能としているのなら、多少高価になったとしても開発する意義があります。ましてや調達価格が戦車の国際相場とほとんど変わらないのなら、どうして自国生産を選択しないというのでしょう。勿論、開発費用との兼ね合いもあります。戦車が必要であるならば、国家財政と相談しながら国産か国外調達かの判断をする事になります。

そういった点を考慮すれば、90式戦車は決して高い買い物では無かった筈です。国際相場から見ても、バカ高いという評価は間違っています。
2007年03月02日
「反戦軍事学」の帯には、このような煽り文句が書かれています。

『徴兵制復活?核武装?これを読んでまだ言うか!』


表紙



また第三部上級編にはこう書かれています。


『その日本において、軍事問題や核問題に関する議論のレベルが、これほどまでに低く、およそ軍事常識を無視した「徴兵制復活論」「核武装論」等々が幅を利かせているという事態は、私には不可思議で仕方ない」』 p142〜p143


核武装論についてはまた別の機会に廻すので置いておきますが、「徴兵制復活論」が"幅を利かせている"事態なんて、今の日本で目にした事はありません。本書で林信吾氏は、核武装論に付いては兵頭二十八氏という核武装論者を引き合いに出して批判しています。しかし徴兵制復活論については、徴兵制復活論者を紹介して批判するというやり方を行っていません。

林信吾氏が徴兵制の項目で紹介している人物は元防衛庁長官の石破茂氏ですが、林信吾氏は石破氏の事をこう評しています。


『もっとも石破氏は、古典的な軍国主義者でもなければ、そもそも徴兵制復活論者でもない』p125
『防衛戦略上、意味がないから徴兵制には反対なのだそうである』 p125

つまり林信吾氏は、徴兵制復活論が幅を利かせていると言いつつ、著明な「徴兵制復活論者」を見つけ出す事が出来ずに叩けなかった…この時点で先ず「徴兵制復活論が幅を利かせている」という前提の方がおかしいと、気付いて下さい。

では何故、石破氏が徴兵制関連で紹介されているかというと、石破氏は日本政府が"徴兵制を採用できない根拠"として憲法第18条の「奴隷的拘束の禁止」を掲げている事に対し、国防任務は崇高な使命であり、奴隷的拘束と呼ぶのはおかしい…という理念の話をしているからです。しかし石破氏は林信吾氏が認識しているように徴兵制否定論者であり、「奴隷的拘束ではないから憲法に違反しないので、徴兵制を復活すべき」と主張したいわけではありません。(但し、一部の右派がこの理屈を持ち出す可能性については備える意味があるでしょう)

一方で同じ元防衛庁長官の中谷元氏は、現役陸上自衛隊幹部からの助言を受けて、改憲時に徴兵制禁止を明記する案を改憲案起草委員会に送り込んでいます。中谷元氏は委員会の長でした。つまり自民党内部では、憲法第18条とは全く別に直接「徴兵制を禁止する」と憲法に書く事で、理念の問題を解決してしまう動きがあります。勿論、この徴兵制禁止明記の最大の目的は、「憲法改正で徴兵制が復活するぞ!」と煽る護憲運動・反戦平和運動の論拠を根幹から崩し、無力化させてしまう(同時に国民に安心感を持ってもらう)効果を狙っています。

・・・ふと思ったのですが、林信吾氏の言う『軍事常識を無視した徴兵制復活論が幅を利かせている』とは、「憲法が改正されたら徴兵制が復活する」と煽る護憲運動の事を指しているのでしょうか? 徴兵制復活を心配するだなんて的外れだと、反戦平和派に対して言いたいのでしょうか? そうだとしたら的確な指摘であり大変納得するのですが、しかし本書の文章中にはその事を示唆する記述が何も無く、どうもそういった意図は無かったのではないかと思います。これはとても惜しいな、と思いました。もしこれが反戦派に対してのメッセージなら、彼等が使う昔ながらの古典的な「徴兵制復活の恐怖を煽る」戦術は、現代戦では通用しないとアドバイスができていた筈なのですから。

ちなみに、石破茂氏と同様に、基本的には徴兵制は不要だが、理念として単純な否定はしないという立場の人達が居ます。民間最大の産業別労働組合UIゼンセン同盟(政治的には旧民社党系の影響が濃い)は「徴兵制批判は無意味」と、徴兵制反対を掲げる連合(日本労働組合総連合会)を内部から批判しています。


UIゼンセン同盟は「国民主権を原則とする主権国家の防衛を考えるとき、単純に、徴兵制は採らない、とうたうことは、“自らは戦わない”と表明することになる」と批判した。

ただ「近代戦において徴兵制は、戦力としての効果の面から不採用とすることは理解できる」と述べ、軍事的な観点から徴兵制を導入しないことに理解を示している。

大体にして、「反戦軍事学」の著者である林信吾氏自身も、徴兵制が現代戦にとって全く不要なものである事は十分に理解されています。


『なぜならば、徴兵制などというものは、今や軍事的にも社会的にも合理性を欠く、時代遅れのシロモノとなっているからだ。げんに先進国の多くが廃止している』 p19
『第一次世界大戦以来の近代戦=国家総力戦の概念がもはや通用しなくなり、「現代戦」の時代に入った』 p61

故に林信吾氏の徴兵制批判は歪な物になっていきます。「格差社会の固定化によって貧困層が軍隊に志願するしかなくなり・・・」といった、最近の反戦運動家がよく使う論理展開「貧しい人には実質徴兵制」的な主張を行っています。(なおこれが突き抜けると主張が反転します。米民主党で平和運動に携わる黒人議員リチャード・ランゲル氏は、議会に徴兵制復活法案を度々提出)


『恵まれない環境で育った青年は、軍隊に志願する事で、とりあえず衣食住を保証され、運転免許その他の資格を取得することで、ようやく社会的な競争に参加できるようになるかもしれない』 p19
『たとえば米軍は、危険な任務を負う第一線部隊ほど、黒人やヒスパニック系の兵士が占める比率が高い』 p19

これは、林信吾氏は、勝手なイメージで物を語っている可能性があります。例えば海兵隊は上陸作戦を得意とする「殴り込み部隊」で、陸軍部隊よりも危険な任務を負いますが、白人兵士の比率は陸軍よりも高く、黒人やヒスパニック系の兵士の比率は低くなっています。また、イラク戦争が始まってからはアメリカ軍全体の黒人兵士の比率が急速に低くなっており(年を追う毎にどんどん比率は低下)、逆に白人兵士の比率が高くなっています。つまり行きたくない人は行かなくてよいという、選択の自由はイラク戦争ですら確保されているわけです。

また、危険な任務を負う第一線部隊が黒人やヒスパニック系ばかりであるという主張が間違いである事は、過去の戦争はともかくとしてイラク戦争では当て嵌まらない事は、以下の資料より理解できるでしょう。


医療技術で、イラクの死亡兵は予想を下回る - 米国 [2006/12/27 AFP通信]
人種的に見ると、負傷者の75%にあたる1万5807人が白人となっており、黒人は1806人、ヒスパニックは1328人である。

負傷するという事は、危険な任務に就いていた事を意味します。この記事の数値は、アメリカ社会を構成する人口比率(白人が75%)とイラク戦争での負傷兵の割合は殆ど一緒であり、しかもアメリカ軍全体の平均的な人種構成割合よりもこの戦争での白人兵士の負傷率は高く、「イラクにはむしろ白人が率先して行っている」又は「白人兵士がより危険な任務に投入されている」という事実が示されています。

これについて「白人の貧困層がイラクに行っているのだ」という反論が為されるかもしれません。ですが仮にそうだとしても従来のイメージである「マイノリティが戦争に行く羽目になっている」というシロモノが音を立てて崩れていく事に変わりは無く、また貧困層の大きな割合を占める白人以外の人種が戦争にあまり行かないで済んでいる事実も、確かなままです。



2007年02月28日
SNSの書評からの転載を、もう一人の方からも許可が得られましたので紹介します。(なるべく早く私自身の書評もUPしますので…)今回の書評紹介はHN「東部戦線」さんからです。


『反戦軍事学』レビュー 書いた人:東部戦線
 これはダメでしょう。
 「学」と銘打った本ではありますが、実際は筋道だった主張ではなく情に訴える本といえます。内容的にもエッセイの域を越えるものではなく、軍事学には程遠いです。

 最初の「入門編」の部分。まず、ここからいけません。
 架空の軍隊生活を描くドラマと初歩的な軍隊知識が書かれているのですが、このドラマ仕立てというのはわかりやすいけれども、それだけにズルイやり方です。
 筆者は「あり得うべき未来図」などと言っていますが、読者は蓋然性の高い予想と解釈する可能性があります。しかし、決してそうではありません。例えば、このドラマはいきなり主人公が上官に殴られるシーンからはじまりますが、日本に軍が復活したときにこういう体罰が復活すると考える根拠は示されていません。こういう印象的な習慣については復活すべき理由が示されてしかるべきでしょう。
 ようするに小説形式で軍隊の不快な側面を読者に印象づけ、感覚的に軍隊への反感を植え付ける形になっているのです。
 これは人に知識を解説する本としてはやってはいけない手法でしょう。

 次の「中級編」がまたひどい。
 内容は初歩的な兵器の薀蓄にすぎず、おおよそテーマ順に並んではいますが雑文の域を越えていません。たったの六行の解説で潜水艦について何か意味のある知識が得られるはずないでしょ。というか、雑学的な内容しか書いてないし。
 薀蓄の内容も半可通としか言いようがありません。典型的なミリタリーマニア初心者のレベルで、薀蓄としてもかなり水準が低いです。読者をうんと舐めているのでなければ、筆者はマニアとしても非常に薄いです。
 またマニアにありがちなことですが、筆者は日本の兵器を軽蔑しているらしく、滅っ茶苦っ茶にけなしまくっています。内容は許すとしても自説を強調する演出が多すぎる。
 イージス艦をけなしている部分がありますが、その直前に長々と旧海軍の戦艦大和の悪口を書いてある。大和のイメージをイージス艦にダブらせて、イージス艦が無能であることを感覚的に印象付けようとする姑息な手口としか言いようがありません。

 そのあとの「上級編」「応用編」は論外としか言いようがないです。いろいろな人の発言をあげつらって、ひたすら否定しまくるだけ。
 有名人を派手に非難しているので変な爽快感を覚える読者もいるかもしれませんが、この部分は中身がないです。
 自説は他人の論ばかり借りずに、事実と自分で組み立てた論理を中心に主張すべきでしょう。

 この本の内容は知識としても理論としてもレベルが低いです。クラウゼヴィッツの引用など間違ってるところもいくつもあります。さらに筆者の偏見が濃厚に入ってます。一番良くないのは読者をだますような策を凝らしていること。
 こんな本を読んで軍事についていくらか知識が身についたなどと思っちゃいけません。
 格言にも「生兵法は大怪我のもと」と言いますから。


作成日時 2007年01月21日 15:56
満足度 ★☆☆☆☆

要するにこの本は「問題外」だという評価でしょうか。

>「学」と銘打った本ではありますが、実際は筋道だった主張ではなく情に訴える本といえます。
>内容的にもエッセイの域を越えるものではなく、軍事学には程遠いです。

この解説で何もかも説明されている気がします。
また、冒頭部分の仮想小説の部分ですが、

>ようするに小説形式で軍隊の不快な側面を読者に印象づけ、感覚的に軍隊への反感を植え付ける形になっているのです。
>これは人に知識を解説する本としてはやってはいけない手法でしょう。

著者による印象操作が行われていると東部戦線氏は指摘しています。
実際に消印所沢氏がこれを引用し、こう問われました。

「ところで,自衛隊は上官から殴られたりします? 本書にはそういう「妄想小説」が含まれているとの,他のレビューの記述がありますが.」

これに対し現役自衛官と退官した方から返答は以下の通り。

「昭和末期入隊の私ですらそういう記憶はありませんねぇ」by Cpt.hige
「俺も昭和末期入隊でしたが、上官はおろか、同期同士でも殆どありません」by EF63-24

もちろん、自衛隊は閉鎖的な生活を強いられますから、苛めが全く無い、だなんてことはないですし、実際にあります。しかし旧軍のような体罰が横行する組織ではもう無い事も、確かです。


>次の「中級編」がまたひどい。
>内容は初歩的な兵器の薀蓄にすぎず、おおよそテーマ順に並んではいますが雑文の域を越えていません。

そうなるとその部分では私も雑学的なツッコミをする事になりそうですね。(それをやると「枝葉瑣末な事を指摘してるだけ」と反論を受けそうですが、ある意味ここが一番面白い)


>そのあとの「上級編」「応用編」は論外としか言いようがないです。
>いろいろな人の発言をあげつらって、ひたすら否定しまくるだけ。
>有名人を派手に非難しているので変な爽快感を覚える読者もいるかもしれませんが、この部分は中身がないです。
>自説は他人の論ばかり借りずに、事実と自分で組み立てた論理を中心に主張すべきでしょう。

これはその通りだと思います。本として、しかも「○○学」として出す以上は自分自身の論説を主論として主張すべきで、それが出来ないのであれば批評本として出すべきです。決して「○○学」という名前で出すべきではありません。(ただ、他人の発言を取り上げて否定するという作業は私もブログでよくやっていることではあります。以前雑誌社の方に「週刊オブイェクトを書籍化しないか?」と誘われた事もありましたが、本として出す自信が無いので断ってしまいました)

「東部戦線」氏のみならず、「早稲田の論客だった人」氏もこの本をこう評しています。

「救済ノート」(不当逮捕された時にどう行動するか書かれた本)的書籍

ただしそういった書籍でも内容さえ正しければ反戦運動家にとって有効活用できる筈です。軍事分野で反論を受けた時に対処できればよいのですから。しかし山田朗教授の「護憲派の為の軍事入門」は救済ノートにすらなれませんでした。内容が悉く間違っていた為です。そして、林信吾氏の「反戦軍事学」は・・・それは私がこれから行う書評と、消印所沢氏の纏めを見た後で各自で評価してもらいたいと思います。

論旨の主要部も、雑学的な枝葉瑣末部も、何もかも取り上げて行きますので。
2007年02月27日
実はまだ完全には読了していませんので、取り合えず私以外の人の書評を許可を得て転載して時間稼ぎ紹介する事にしました。

第一弾は某巨大掲示板群で以前、HN「早稲田の論客」を名乗っていた「早稲田の論客だった人」氏です。氏がSNSで投稿されていた反戦軍事学の書評を、SNS内部だけで留めておくのは勿体無いと、ここで丸ごと公開します。


『反戦軍事学』レビュー 書いた人:早稲田の論客だった人
総論として、これはひどい。

前半部の入門編あたりは曲解と印象操作が見受けられる。
例えば、前半部に私小説を入れた空想に近い独白を入れているのが読者に予め感情的印象を与えた上で解説を加える手法からして卑劣だ。
第一章の徴兵制度についても、フランス革命による国民皆兵制度が「市民とは兵役の任を果たす者を指す」好例のはずだ。この徴兵制度が出るまでのフランス革命政権は、義勇兵による募兵が中心であったのだが、思うように集まらずに徴兵制度に切り替えた経緯がある。この点で留意されたいのが、この徴兵制度を決めたのは、フランス王政を打破した共和党政権共和制政権を担うブルジョワ=都市市民階級であり、王政による身分制度が無い以上、革命政権の指導者も国民にあたる。
 にもかかわらず、徴兵制度を敷いたのは革命政権での話し合いで「フランス国民は兵役の義務を負う」と決めたのではないか。これを正反対に「市民は兵役の任を果たす者ではない」とはいえないだろう。
 また、国民国家と国民軍の成立がたとい200年が歴史だというのなら、国家が国民を守る概念すら例外だろう。国家が国民の生活を守れない場合、自然権の範囲として国民が旧国家を打倒し新しい国家を打ち立てる革命権が存在するのは、人権を勉強すれば学ぶ権利だが、この権利はジョン=ロックによって考え出された17世紀終盤の思想であり、それまでは王権神授説による絶対王政であり、国民が国家=王様に反抗することは当然の権利ではなかった。
 またこれ以前の政権が「国民の生活を守る」国家であったかは、歴史が証明しているように、現代にそのような政権が残っているところは極めて少数である。
このような国民と国家の関係を無視した上で「例外的」と指摘したのはどういう事なのか。専制国家は歴史上長い歴史があるから良いとでもいうのだろうか。
 更に追記すれば、同じ時期に生み出された概念には私有財産制度の確立やメートル法もだが、それも例外だからと主張されるのだろうか。

 後半部になると、他著を引き合いに出したうえ、それを切り刻み個人的中傷を加えた上で、誤った見解を加えて自分の論拠すら立てて話せないのが情けない。
 的確な反証もできないまま刹那的、文章を切り出して短く非論理的な批判する行為はにちゃんねるで行われる掲示板の批判と似通ったものではないか。
 例えば石破茂の著作「国防」のくだりでは同氏を「軍事オタク」と呼ぶのはご愛敬としても兵頭二十八氏の著作批判では「軍学者というのは、ここまで非論理的に」「自分で自分が何を言っているのかわかっていない」「味噌汁で顔を洗ってから」などと酷くなる。
 上坂冬子氏では「何も知らないおばはん」「この本から無知と偏向を廃したら何も残らないだろう」「心象風景を紹介して思考停止している」などと枚挙に暇が無い。
 「心象風景を紹介して思考停止」と言うのなら、この本の前半部で稚拙な小説は、一般的でもない心象風景を書いたものであり、思考停止どころではない悪意の思考ですらある。
 またこのような心理的印象下ではまともな反証が書いてあったとしても、読者には感情で書いてあるとしか理解されないだろう。読者の感情が著者と同じであれば別であるが。

少なくとも、これで軍事が理解できるとは思えないし、帯にもあるような徴兵制・核武装など、あくまで個別論点をいかにして反証するかしか書いていない。左翼系の書店にある「救済ノート」(不当逮捕された時にどう行動するか書かれた本)的書籍ではなんら知的成長はあり得ない。まだ「孫子」「墨子」「戦国策」などのほうが、軍事のなんたるかを理解できるだろう。


作成日時 2007年02月18日 18:04
満足度 ★☆☆☆☆

えー・・・林信吾氏の毒舌は著書内でも行われており、他著作でもそれは確認できました。つまりブログのコメント欄でのあの言動も、何時も通りということなのでしょう。

さて、今後の私自身の書評についてですが、細かいツッコミを繰り返していると「枝葉瑣末にケチを付けている」と反論を受けそうなので、「主要部分(森と木の関係で言うと森)」と「細かい部分(木)」に分けて書いていこうと思います。これだと取り上げる部分が多岐に渡り、長い回数が掛かりますが、気長にノンビリやっていこうと思います。

最終的な纏めは消印所沢氏がやってくれる事でしょう。取り合えず私は手当たり次第に書評を書いたり、他者の書評の紹介をして行きます。

2007年02月25日
昨年末に出版された朝日新書「反戦軍事学」(著者:林信吾)。これはその一年前に花伝社から出版された「護憲派のための軍事入門」(著者:山田朗)と同じ流れの書籍で、反戦平和派の為に書かれた軍事学入門書です。「平和を欲するならば戦争を理解せよ」とはリデル・ハートがよく引用する古代ローマの格言ですが、平和運動家こそが軍事に詳しくならねばならないというのは、医者が病気に詳しくなくてはならないのと同じ事である・・・つまり当たり前の事なのだと思います。

しかし日本の反戦平和派は軍事を汚らわしいものと考え、見るのも触れるのも拒絶してきました。その結果、的外れな批判や運動が横行する事となりました。これではいけない、と危機感を抱き始めたのでしょう、例えば護憲誌「マガジン9条」では「軍事問題については、一般的に護憲派よりも改憲派のほうが詳しく、論争にも強いことが多いようです。」と問題を自覚し、だからこそ明治大学の山田朗教授が執筆した軍事入門書を読むべきだと説いています。

こういった試み(批判対象そのものを知ろうと勉強をしていく努力)は、大いに評価されるべきでしょう。ですが、問題がありました。それは推薦本の内容が間違いだらけで、読んだら逆効果になってしまうのです。著名な専門家に執筆を依頼すればよいのでしょうが、どうしても反戦運動の中で身内に近い者や、自分達の批判対象(例えば政府とか)を同様に批判している者を選んでしまいがちになり、それは結果的に素人同然の人に本を書かせることになり・・・勉強用の教材としては不適格な物が出来上がります。

私は山田朗教授の「護憲派のための軍事入門」を読んではいませんが、山田教授の講演録「護憲派のための軍事講座」とマガジン9条の企画「教えて!山田先生」を読み、「山田朗教授は軍事学講座を開くべきではない」と結論を下しました。山田教授は戦間期の日本軍事史研究では知られていますが、現代戦に関する知識がほぼ皆無であり、論評にすらならない代物でした。・・・山田教授を擁護する人の中には「細かい枝葉を論うのではなく、もっとよく全体の論旨を見て欲しい」という意見もありましたが、しかし細かい枝葉の一つ一つが・・・悉く間違っているんです。「木を見て森を見ず」とはよく言いますが、その森に生えている木の殆どが【変】だったら、その森はやっぱり【変】なんです。

前置きが長くなりましたが、「護憲派のための軍事入門」に続いて同様のコンセプトで出版された「反戦軍事学」は、果たしてどうなのだろうかと気になっていました。朝日新書の書籍宣伝では著者の林信吾氏は山田朗教授とは違い、リベラル派ではあるが護憲派というわけでもない・・・という触れ込みです。それならば期待は出来るのだろうかと思いながら、ですがなかなか買ってまでして読みたいとは思わず、暫く忘れていました。…続きを読む