2008年11月24日
何とも懐かしい物を見た感じになりました。ここ数年でネット上からはほぼ完全に駆逐できた主張でしたから・・・


講演:元防衛庁幹部、小池・新潟県加茂市長「平和憲法こそ国を守る」−−金沢 /石川 : 毎日新聞
小池市長は、朝鮮戦争や湾岸戦争を振り返り、「平和憲法があったから派兵がなかった」と語り、そのうえで、自民党が検討する憲法改正案に触れ「海外派兵を認め、自衛隊員が足りなくなれば、徴兵制が導入される」と警告した。


数年振りに見た改憲と徴兵制を結び付ける主張ですが、これに対する問い掛けは簡単です。

「アメリカやイギリスは海外派兵しまくりですが、別に徴兵制ではないですけど?」

それでは新潟県の小池清彦・加茂市長さん、お答えをどうぞ!・・・って、答えようが無いし答える気も無いしスルーするんでしょうね・・・小池市長は東大法学部卒で防衛庁に入庁した元・背広組です。もし防衛庁時代にこんな寝言を言っていたら問題視されていたかもしれませんが、今の立場なら好きに言えばいいです。でも、簡単なツッコミで立ち往生するような稚拙な論理を振り翳さないで欲しいですね。

補習授業形式:「徴兵制解説シリーズ」
週刊オブイェクト:カテゴリー「徴兵制」

これだだけ見て頂ければ「憲法改正と徴兵制は全く結び付かない」事がよく分かると思います。自民党は一時、憲法改正案に徴兵制禁止を明記しようとすらしていましたし。

さて、加茂市長に問い合わせのメールを送るにはこちらで宜しいのでしょうか。

加茂市公式ホームページ

"市長宛"というのが無いけど、どうしましょうか。加茂市宛で、いいかな。
posted by JSF at 22:08 | Comment(147) | TrackBack(0) | 徴兵制
2007年12月07日
欧米では反戦平和派(ただし一部のインテリ層)が「徴兵制を採用せよ」と唱える場合があります。それは犠牲は平等に課されるべきだ、という考え方です。自分の意志とは無関係に戦争に行く可能性がある―若者が戦争について真摯に向き合い、考え、結果としてそれは戦争反対に繋がる。為政者達も自分の子供達が戦争に行く可能性があるとすれば、安易に戦争を選んだりしないだろう、言わば戦争そのものへの抑止力として徴兵制採用を唱えるのです。それは、念仏のようにただ戦争反対!戦争反対!とだけ唱える、宗教じみた反戦運動から脱皮した、理論的なものです。反戦平和だからこそ徴兵制・・・しかし日本ではこれまでこういった主張を声高に叫ぶ人は今まで居ませんでした。

何故ならそのような主張は護憲運動の邪魔でしかないからです。


朝日新聞社の『論座』に徴兵制必要論書いたよ - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

日米よ、徴兵制度を復活させよ:論座 2008年1月号
日本では右も左も徴兵制に反対らしい。憲法9条を改憲して自衛隊を正式な国軍にすると主張する人々ですら「徴兵制度を復活させるわけじゃない」と言って賛同者を増やそうとしている。


町山智浩氏のこの主張は時系列を端折っている点で問題があります。

先ず護憲派が「改憲したら徴兵制が復活してしまう!」と主張。
対して改憲派が「徴兵制は復活させません」と返答。

護憲派は徴兵制復活の恐怖を煽って賛同者を増やそうとしています。改憲派は、護憲派が徴兵制を持ち出さない限りそれに対し言及しないでしょう。言われてもいないのに自分から持ち出す意味が無いからです。なぜ日本では右も左も徴兵制に反対なのかなんて、とても簡単な事です。改憲問題で徴兵制採用を唱える事は双方にとってマイナスでしか無いからです。右派が徴兵制採用を唱え改憲を主張すれば、左派はここぞとばかり「徴兵制復活を許すな」キャンペーンを張るでしょう。そして左派が護憲を主張する時に徴兵制復活を唱える事はおかしなことになります。徴兵制を採用するには憲法を変えなければならず、改憲派となってしまうからです。

私は、以前から欧米では反戦平和だからこそ徴兵制を唱えるという主張があることを知っていました。しかしそのような主張は日本では、少なくとも憲法が改正されてしまった後で無いと一定の勢力として存在出来ないと予測していました。反戦派が徴兵制採用を唱える事は護憲運動にとって足を引っ張るものでしか無いからです。

町山智浩氏のような主張は、現状の日本で多くの反戦派が唱えだす事はありません。アメリカに対しそのような物言いをすることは考えられますが、日本国に対し徴兵制の採用を迫る事はありません。今回は、アメリカ在住の方が現地でこういう考え方があるよと紹介しただけに終わるでしょう。


また、為政者に従軍経験があれば、為政者の息子が軍隊にいるならば、安易に戦争を始めたりしないだろうというのは、結局の所は希望的観測に過ぎません。いえ、そういった条件が無い場合よりは安易な戦争の選択は減るだろうとは思いますが、決定的な抑止力にはなり得ません。イラク戦争はチキンホークが始めたとしましょう。では湾岸戦争は誰が始めたのか。当時の大統領、ブッシュ父は元海軍航空機パイロットであり、太平洋戦争への従軍経験がありました(マリアナ沖海戦と父島上空で二度、撃墜されています)。ベトナム戦争は何時の間にか泥沼に引きずり込まれていましたが、戦争を継続していった指導者達は殆ど皆、従軍経験があった筈です。

第一、アドルフ・ヒトラーだって従軍経験はあります。

若者に対し戦争について身近に考えてもらう為の徴兵制、というのも難しい面があります。この場合、徴兵忌避者は許されません。抜け道があれば政治家の息子だって徴兵逃れするでしょうし、一般人の徴兵逃れもあるでしょう。それらを取り締まり、全て徴兵しなければ「反戦側からの主張としての徴兵制採用論」は穴が開きます。無論、女性も徴兵しなければなりません。(実際に3年前に民主党議員から提出された徴兵制復活法案は女性も対象となる)当然、ドイツ連邦軍で採用されている良心的兵役拒否制度も駄目です。ドイツ軍はこの制度のおかげで全軍の2割しか徴兵が存在せず、既に実質志願制軍隊と化しているからです。それでは意味がありません。

しかし果たして、徴兵逃れが許されない男女両方採用の徴兵システムが上手く機能するのか、それ以前にそのような制度が法律として成立するのか(選挙で支持を得られるのか)、甚だ疑問です。



9条改憲論者の「徴兵なき国軍」というインチキに話を戻すが、欧米諸国は徴兵を「停止」しても「廃止」は絶対にしない。


いいえ、これは町山智浩氏の間違いです。アメリカやイタリアが法律上、徴兵制の「停止」であるというのは確かですが、イギリスやフランスは法律上「廃止」しました。特にイギリスはスエズ以東からの撤退を決めた時に徴兵制度を廃止し、志願兵制度に「戻り」ました。この時は1960年代であり、ソ連との冷戦が最も激しかった時代であるにも関わらずです。

イギリスにとって伝統的なことなのですが、戦争をなるだけ志願兵だけで済ませようという傾向があります。(例えば19世紀末のボーア戦争でも本国兵は志願兵だけで済ませた)自国民から徴兵を募る事はギリギリまで遅らせて、どうしようも無くなった時(世界大戦)だけ徴兵制度を設けています。イギリスは島国なので大きな陸軍が要らないという条件も志願兵制度と相性が良く、そしてなによりノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)の国だからです。フォークランド紛争では多数の貴族が戦死し、王族までも最前線に送り込まれました。



国民皆兵制は民主主義国家の基礎だからだ。近代以前は王や諸侯が職業軍人と傭兵による武力を独占していた。しかし、民主主義国家では国民が武力を共有することで、軍の独裁を防ぎ、権力の横暴に対して国民が抵抗する能力を維持する。


これは「民主主義国家の軍隊は徴兵制であるべきだ」というもので、左右を問わず徴兵制採用論を唱える人達の基本と言えるものです。ただ現在となっては理念だけの在り方といってよく、徴兵制軍隊であるならば軍部独裁が防げるとするのは幻想です。理念は理念として大事に取っておけば良い。イギリスなど欧州の軍隊を見ているとそう思えます。



また、国民皆兵制度は戦争のためだけにあるのではない。国民を作るためにあるのだ。人は国民として生まれてくるのではない。国だけでなく、未開の部族や宗教団体、一般の企業まで、人はグループの一員になるために通過儀礼(イニシエーション)を経る。通過儀礼は臨死体験だ。バンジージャンプは、本来は成人式だ。人は儀式的に一度死んでグループの一員として生まれ変わる。

通過儀礼は地域共同体や徒弟制度、宗教がそれぞれに行ってきたが、国民国家では学校と軍隊がそれを担当する。新兵訓練が理不尽なほど厳しいのは、心の中の子どもを切り捨てる儀式だからだ。戦後の日本では各企業が「社会人を作る役割」を担った。それらが崩壊した現在、大人になれない人間が増えたのは当たり前だ。

徴兵しないのなら代わりの制度を確立しろ。でなきゃカルトやニートも増える一方だよ。


最後はまるで東国原知事のような主張(若者を鍛え直す目的)で終わってしまい、少し残念なのですが、こういった通過儀礼目的でのシステムを望まれているのでしょうか。「国民国家では学校と軍隊がそれを担当する」と言うなら学校でやれば良いと思うのですがね。

しかし実は、そういった通過儀礼目的でのドラフト・システムがあります。軍事教練を行わない、徴兵ではない(名目は徴兵制だが)代わりの制度をマレーシアでは採用しています。


徴兵制 復活?−番外編2・マレーシアの徴兵制−
徴兵制導入で訓練始まる=「愛国心と規律」育成へ−マレーシア [04/02/17 時事通信]

マレーシアでこのほど徴兵制が導入され、第1期生8万5000人のうち、2万6000人に対する訓練が17日、各地の軍事キャンプで始まった。徴兵制はマハティール前首相が愛国心や規律の育成を目的に提唱していた。
東南アジアの友好国に囲まれたマレーシアに、戦争の緊迫感は全くない。徴兵の狙いは人口の約6割を占めるマレー系住民の意識改革が狙いの1つとされる。


林間学校みたいなものでしょうか。東国原知事もこういうものを提案すれば誤解を生まなかったかもしれませんね。
posted by JSF at 22:26 | Comment(108) | TrackBack(1) | 徴兵制
2007年10月20日
furukatsu氏との議論の纏め。導入部はゲリラ戦からでしたが、実際には当初から実質的に徴兵制と志願制についての話でした。これは以前からfurukatsu氏側が私に対して、「一度話し合ってみたい」と思っていたテーマだったからです。

ゲリラ戦と徴兵制の軍事的、政治的解釈 - furukatsuの軍事


確かに現状の日本の作戦環境下で自衛隊を解散し民兵組織によるゲリラ戦を展開するのは無理無茶無謀である。しかしながら、例えば退職した自衛官や消防団のような組織を中心としてゲリラ的な戦闘を展開しうるような組織を作ることは十分に考えられうるし議論の余地のある考えになるだろう。また、いわゆる正規軍にあっても従来の近代型の官僚組織による軍隊ではなく、分散したゲリラ的な統帥法というのも十分に検討しうるであろう。RMAについての議論から考えても、官僚組織型のトップダウンによる統制は電信、電話による指揮に適合的なのであって、現代のコンピュータとデジタルネットワークにおいてはむしろゲリラ的な統帥法が適合的な場合も考えられるのである。


先ずfurukatsu氏の懸念は、自衛隊の予備役の少なさ、準軍隊組織が存在しない事への不安感(海には沿岸警備隊である海上保安庁があるが)があると思います。実際に他国(志願制軍隊を採用している国でさえ)と比べても日本自衛隊の予備兵力の少なさは際立っており、予算と政治的な事情さえ許せば、この部分を充実させるべきと私も同意します。(ただ、単純に予備役を増やすだけでも予算増が必要といった困難な事情があり、更に民間防衛隊設立となると政治的に議論は当面棚上げにするしかありません。)

そして分散したゲリラ的な統帥法とは何か。正規戦は分散と集合を繰り返し、決戦時にどれだけ兵力を集中できるかで勝負が決まります。これに対しゲリラ戦は決戦そのものを回避します。そうなると基本的に分散襲撃となるわけですが、敵勢力の弱い部分に攻撃を仕掛ける際に、局所的な戦術的優位を確保してから仕掛けるのは勿論なのですが、本格的に戦力を集中する事は行いません。ゲリラ側が不用意に戦力を集中すれば正規軍がこれに決戦を挑むチャンスが生まれ、一撃で壊滅してしまう恐れがある為です。(故にゲバラはゲリラ戦だけでは最終的勝利は得られない、と説く)

「分散したゲリラ的統帥法」とは、複数の独立した集団が分散して各個に敵に襲撃を仕掛けていく以上、一つの集団単位の行動の自由度を大きく認める必要性があります。それを統帥し、一つの意思の元に行動を決めて、命令を伝えて行かねばなりません。これについて現代のコンピュータとデジタルネットワークは正規軍よりもゲリラ側にとって適合性が高いのではないか、というのがfurukatsu氏の主張です。

これについて私は「イタチごっこ」になる、と考えています。確かにゲリラ戦の統制指揮には有効で、正規軍への適用よりも相性が良いかもしれない。ですが正規軍側はゲリラ側に比して膨大なリソースをデジタルネットワーク化とその進化に割く事が出来ます。相性の差があったとしても埋まってしまうかもしれない。そして正規軍のRMA化は既に始まっています。



まず、確かに多くの先進国が徴兵制をやめる、ないし縮小していることは指摘の通りである。しかし、それを以って否定する理由の補強とはなっても、洗練されたプロフェッショナル・アーミーが薄弱であるという指摘に対する反論とはならないだろう。プロフェッショナル・アーミーが数の厚みを超えてなお薄弱でないという議論を示してほしい。


少し論点がズレていると感じます。これまでの議論を見ても分かりますが、私とfurukatsu氏は基本的な面で殆ど合意に達しています。にも関わらず議論が続いているのは、このズレに拠るものが大きいのではないかと思います。これについては直接の反論も議論も必要なく、ただズレていることを指摘するだけでよいと思います。

例えば同一の国力の国同士が総力戦を行うと仮定すれば、マス・アーミーを採用した国の方が優勢になるのは当然である事は、そもそも前提のものです。

私は「マス・アーミーは必要ではない」「使う機会が訪れない」と言っているのです。先進国間での国家総力戦争そのもののが、意味を失ってしまった事。また総力戦争=全面核戦争となってしまっては、最早、市民軍の出る幕すら無いであろうという事。だから限定戦争下で投入兵力数が制限されるならば、質で勝るプロフェッショナル・アーミーを使う事が当然であろうという論議です。



しかし極東ではどうか。これについては冷戦終結による平和の配当は未だ受け取られていないだろう。むしろ地域大国となった中国の膨張主義的な政策や窮地へと追い込まれつつある北朝鮮の核開発、SCOというあらたな軍事同盟の締結、ヨーロッパ正面に兵力を張り付けずに済むようになったロシアとかえって冷戦期よりも状況は混迷している。

であるからこそ、韓国は徴兵をやめられないだろうし、わが国は日米同盟の強化に余念がないわけである。その意味ではドイツでの議論をそのまま適用するには無理があるだろう。我々は平和の配当を受け取っていないのだ。


そう、その通りです。これまで私もコレと同様の主張をあちこちで繰り返してきました。我々はまだ平和の配当を受け取っていないのです。(齟齬があるとすればロシア軍はソ連時代から大幅に兵力が衰えており、ヨーロッパ正面よりもむしろ極東方面の兵力減少が著しい点くらいか)

あと自己レスなんですが、

>最前線はポーランドとバルト三国のロシア国境まで伸びたわけだ。

ロシア国境ではなくベラルーシ国境でしたね。白ロシアの事をすっかり忘れていました。これは何時か直しておきます。



その上で日本に対する脅威という意味で考えると、彼らにとっての中規模な戦争が我々にとっての全面戦争となる可能性は十分にある。例えば、5コMD程度の着上陸を考えた場合、これは中国やロシア、ないし将来の統一朝鮮にとって決して国の全精力をかけた戦いとはならない。我々にとっては5コMDもの数だが、彼らにとってはたった5コMDとなることは十分に考えられる。つまり、我々にとっての全面戦争というのは十分に想像の範疇にある。我々の関わる戦争がすべて島嶼や一部地域のみを狙った限定戦争であれば何と楽なことかと思うが、そんなに世の中は甘くないだろう。


5個MD(MD:"Mechanized Division"・・・機械化師団の略)の揚陸。5年前にも貴方はそんな話をしていたような・・・確か自衛隊板の「反戦平和アクション議論板は自壊しました」スレッドだったかでしょうか? それと、過去の日米合同図上演習YAMASAKURAでも殆ど同じような想定があったと思います。(敵5個師団福岡着上陸)あの時の図演では一ヶ月で岡山まで攻め込まれ、その後に反撃に成功し追い落としていったという結果になっていましたから、我が方にとって「全面戦争」とは言えないでしょう。十分に対抗可能です。日本原の74式戦車がTKXに更新されれば特に問題無いと思います。



ではハイテク兵器についてはどうか。これについては確かにハイテク兵器の運用について徴兵ではやや困難があるという部分は否定しない。しかしながら考えてみれば分かるが現在の陸上自衛隊の任期制隊員は2年任期であり、概ね2任期勤めることから、4年の期間しか自衛隊に勤務していない。にもかかわらず、彼らは高度なミサイルの操作についてそれなりに習熟しているし、複雑な後方支援業務をそれなりにこなしている。


徴兵制だと1年が任期です。知り合いの一尉によれば「一年間ではやっと半人前」とのこと。いやニ年だったかな。北朝鮮のように10年近く徴兵する国は例外として、徴兵制度を取っている国は任期は短いですから、志願制度の国の兵士との練度はどうしても開いてしまいます。



社会契約というのは強制力(暴力)を共同体や政府に対して預けるところから始まっている。ホッブズ、ロック、ルソー、それぞれやや考えは違うが、人々が契約を結び強制力を預けているという点では基本的には同様である。

その意味では市民軍というのは当然の帰結である。つまり、人々がその実力を預ける端的な方法は一人一人が兵員となり強制力を担保するという方法であるという意味である。市民軍というのはそれが現実的に可能か、ないし効率的かという以前の問題として、近代国家がその構成員の実力の集合体であり、暴力の合法的な独占を要求する集団であるために当然の帰結なのである。この部分を無視してのプロフェッショナル・アーミーかマス・アーミーかという議論は片手落ちではないかと私は考える。


私はその部分に触れていません。「そうあるべき」理念は聖典にでも刻んでおけば置けばよく、現実の選択の前には何の意味も無い、と断じているだけですから。幾ら片手落ちだと言われようと、全く気にしていないわけですから、やはり無視しているのかもしれません。理念、思想、そういった議論とは別々に考えていると理解して頂ければ幸いです。



しかしながら、市民軍の理念は近代国家にとって非常に重要な価値を持つし、市民軍やゲリラ戦の思想は軍事的にもこれからの将来にわたって大きな影響を与えることだろう。

なお、私はこれから数十年に渡って徴兵制は現実性が無いと考えるが、数百年後は神ならざる身にとって予想出来る話ではない。約200年前のヨーロッパではプロフェッショナル・アーミーが破れマス・アーミーの時代が到来したのだから。


前半について、私も肯定します。理念として価値は決して失われないし、ゲリラ戦の思想は今も第三世界で現在進行形で実行されているのですから。

後半、最後の部分でfurukatsu氏はこう言います。
『私はこれから数十年に渡って徴兵制は現実性が無いと考える』

それに対し、私が「徴兵制復活?」で書いたことはこうでした。
『数十年どころか数百年のスパンで、徴兵制復活は有り得そうに無い』

結論は殆ど同じです。「200年前のヨーロッパ」とはナポレオン時代の事を指します。200年なら「数百年」の範囲内ですから、結局furukatsu氏と私の結論には殆ど差が無かったということになります。

しかしそれが議論と成り得たのは、理念理想と現実の選択との差異があるからです。例えば石破茂防衛大臣が前の防衛長官時代、自身は徴兵制の採用に否定的でありながらも「徴兵制が憲法違反であるということには、そのような議論にはどうしても賛成しかねる」「国を守ることが意に反した奴隷的な苦役だというような国は、国家の名に値しない」と発言した事と同じような理由によるものでしょう。

石破茂もfurukatsu氏も、現状の世界情勢では徴兵制の採用など全く現実的では無いと考えています。その上で徴兵制そのものを否定してはならないと説きます。(軍隊を捨てたとされるコスタリカ憲法にすら堂々と徴兵制復活の手続きを記した項目がある)ただ、furukatsu氏はより戦略論、軍政論の深い所にまで踏み込んでいるのに対し、石破氏は浅めの理念理想で留まっている感じです。(実際にはより深く考えているのだと思いますが)


さてこの議論は一番上で述べたように、furukatsu氏側が私に対して、「一度話し合ってみたい」と思われていたテーマでした。

(JSF氏には私が81式だと言えば分かってもらえるだろうか)

しかしこの時点(2006年7月19日)で「81式」と名乗られてもさっぱり分からなかったと思います。私は、実は2ch軍事板のコテハンではありません。古くから見てはいますが、「JSF」の名で書き込んだ事は軍板では一度きりしかありませんでした。必然的に軍板コテハンとの交流は少なく(せいぜい消印所沢氏くらい)、自衛隊板でヤスツ氏が主導した「反戦平和アクション掲示板」との交流(というか論戦)にしても、名無しで少しだけ参加していた程度なので、「81式」の名前は覚えていませんでした。

この夏の騒動で一体誰なのか検索して、軍板と自衛隊板で有名だったコテハン「81式」=furukatsu氏とようやく理解しています。
posted by JSF at 10:55 | Comment(41) | TrackBack(1) | 徴兵制
2007年10月13日
前回のエントリ「笠井潔『国家民営化論』一億総ゲリラ戦理論の大穴」では、「一億総ゲリラ戦理論」の欠点を簡単に指摘しました。それについて戦略論家の「81式」ことfurukatsu氏が大筋で賛同されたものの、二つの異なる観点を提示して再検討して下さいましたので、それをこちらでも検証していこうと思います。


軍隊の余裕と、軍隊の文民統制 :furukatsuの軍事
笠井潔『国家民営化論』一億総ゲリラ戦理論の大穴というid:JSF氏の記事について、本稿では「日本は島国なので海上封鎖されたらお手上げ」という結論に関して大筋ではその通りであると考えるが、しかしながらその一面的な論述に二つの観点から問題を提起する。

確かに、日本は島国であり、海上封鎖によって容易に干上がってしまうという危険性を有している。しかしながら、その事実は笠井潔の提起する考えを否定するものの、市民軍やゲリラ戦の思想そのものを否定するという意味ではない。そのような観点からJSF氏の議論について再検討をする。


私もゲリラ戦そのものを否定する気はありません。ただ、ゲリラ戦の大家チェ・ゲバラ著の「ゲリラ戦争」に置いて、

・地元住民の積極的な支持と献身的協力
・逃亡、休養、訓練、再編成などを安全に行う後背地(聖域)
・兵器や物資の安定供給を約束してくれる支援国家

これら三要素がゲリラ戦には必須であり、そしてゲリラ戦だけでは最終的勝利は得られず、最後には正規戦争に発展させる必要があると問いています。「勝利は常に正規軍によってのみ達成され得る」、ゲバラはそう言っているのです。(私自身は3年前に楽天広場で、CHF氏は1年前にmixiでこの事を「反戦平和運動家」を相手に説明していました。)

つまり日本は島国という地理的条件で既に、ゲリラ戦理論の三大要素の一つである聖域の確保が困難であり、連絡線の維持も難しく、援助国からの補給も遮断されやすい事になります。


さて、furukatsu氏の言う二つの異なる観点とは、「軍隊の厚みの問題」「主体的文民統制の問題」に分けられています。その文章は体系的に戦略論を学んだ者だけが書ける理路整然としたもので、大変分かりやすく纏められています。

先ず「軍隊の厚みの問題」を私なりに一言で纏めてしまえば、「戦争は数が必要」(注;「数で"決まる"」ではない)という基本中の基本を説明したものです。プロフェッショナル・アーミー(職業軍人で構成された志願制軍隊)とマス・アーミー(徴兵制で構成された大衆軍)では、当然後者の方がより多くの人間を集められます。そしてfurukatsu氏は、過度の効率化によって余裕と冗長性を失った志願制軍隊が、システム的に破綻する事を懸念しています。

しかし現代の先進国の軍隊はプロフェッショナル・アーミーで構成される事が主流となっています。西側先進国で唯一、徴兵制を残しているドイツ連邦軍も既に全軍の8割が志願兵であり、それでいて軍全体を縮小しつつ主任務を「専守防衛」から「国際紛争への対処」に切り替える方針を示しました。そしてロシアも徴兵制軍隊から志願制への移行を探っています。中国軍も同様の動きがあり、既に米英仏伊などが志願制軍隊である以上、世界の主流はプロフェッショナル・アーミーへと移り変わっています。その理由は「徴兵制 復活?」を参照して下さい。


次に「主体的文民統制の問題」ですが、furukatsu氏は「一般にマス・アーミーは主体的文民統制にとって有利である。」と述べています。これは現在のドイツでもそのような論議が行われています。それは徴兵制廃止論議の理由の一つに「軍隊を職業軍人だけに任せては文民統制が効かなくなるのではないか」という懸念の声があるのです。(furukatsu氏が言う、ドイツが徴兵制を続ける「建前上」の理由の部分)先の大戦のトラウマがあるのでしょう。ナチスが台頭する以前から再軍備の準備を着々と進めていたドイツ軍。そういった職業軍人への警戒心です。(しかしこれはドイツの徴兵制廃止論議の中でも徴兵制維持の理由としては弱く、最も大きな理由は徴兵忌避制度に置ける代替ボランティアが徴兵制廃止で出来なくなることへの懸念〜ボランティア要員の消滅〜が要因なのですが。)

ただ、これについては私は何も懸念していません。ドイツ連邦軍が徴兵制であろうと志願制であろうと、軍部が暴走する危険性に差は無いでしょう。どちらみち徴兵は兵であり、軍の中枢には関与しないのですから。(既に全軍の8割が職業軍人であり、徴兵制そのものが有名無実化した現状もあります)

客体的文民統制と主体的文民統制を見比べれば、どちらも文民統制というシステムでは同じです。客体的文民統制は政治と軍事を切り離し、軍部が政治に介入する事を防ぐというものです。主体的文民統制は軍隊を完全に文民のコントロール化に置く事を優先します。

しかし例えば、ミサイルが10分で首都に着弾する事を察知したというのに、一々文民に迎撃許可を求めていたら迎撃自体が間に合わないように、主体的文民統制が行き過ぎれば軍隊はマトモに動けなくなります。客体的文民統制は軍隊に軍事の専門性を求めるため柔軟性が増しますが、これも行き過ぎれば軍隊による軍隊の為の戦争が行われる危険性があるとfurukatsu氏は説きます。

つまり、どちらも行き過ぎればよくないわけで、両方の折り合いを付けるしかないわけですが、この話と「市民軍」「徴兵制」との関係性は薄れていると私は思います。何故ならドイツの徴兵制廃止論議の中でも主流と成り得ていない、極一部での懸念だからです。


最後に

私とfurukatsu氏は、「一億総ゲリラ戦理論」についてはお互い、問題外であると一蹴しています。今回の議論に置ける市民軍とは徴兵の事であり、ゲリラ戦は議論の中心ではありません。

私が「徴兵制 復活?」で述べた事は、徴兵制を全否定するものでは無いのです。序章の部分で、

『今までの世界情勢から予測すると、日本では数十年どころか数百年のスパンで、徴兵制復活は有り得そうに無い。』

と述べている通り、現在とその後当分の間の社会情勢の中で、日本で徴兵制が復活する可能性は著しく低い、そもそも必要が無いのだから・・・というものです。これについてもfurukatsu氏は概ね合意してくれるでしょう。

要は現実の選択と、理念(こうあるべき)の違いであり、前回のエントリでの19氏と大屋准教授のコメントとも繋がっています。



19. Wikipediaの笠井潔の項には彼は新保守主義に転向しているみたいなわけわからんこと書いてありますね
彼は右に寄ったんじゃなくて左翼思想からリバータリアニズムに入っていったはずですよ

リバタリアニズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

リバータリアン保守思想20の特色
http://www.soejimatakahiko.net/nlm/20.htm

確か副島隆彦や森村進なんかと同時期に初めて日本にリバータリアニズムを本格的に紹介した一人だったはずです
リバータリアニズムは突き詰めれば、外国の事に関わらない、敵が攻めてきたらオラのライフルで退治してやる、国家?シラネ、みたいな非常に原始的な考えまでいく思想ですから、こういうアナーキズムと紙一重の思想を持ってる人に国防を説いても無駄のような

後、どうでもいい個人的な話ですが笠井氏のヴァンパイア戦争は結構好きだったんですがねぇ
今にして思えばあれも最後は地球は北斗の拳みたいな無法地帯になってたなw

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年10月10日 01:31:59


33. 19氏も書かれているとおり、笠井氏は「国家が個人に強制することはどの範囲までが道徳的に許されるか」という理念的な問いを前提として、その上でどのような社会の仕組みが可能かという議論をしているのです。なので、「それだと《現実的に》こんなに困ることが」と反論しても「なるほど、ではその現実は《不正》である」と言われてしまうのですね。
この問題についても、笠井氏はおよそあらゆる国家に該当する議論としていると思いますから(その点で日本国憲法の解釈として群民蜂起論を説いている憲法学者たちと異なる)、他国が大型兵器や海空軍を持っていることもない《はず》、ないし(最終的には)なくなるはずだ(だって不正なんだもん)という言い分があると思います。

……いやもちろん非現実的なんですが、理念中心で現実批判をするタイプの中では、笠井氏は余計な留保条項とか譲歩を付けないで《きっぱり間違う》人なので、アンチテーゼとか批判的検討の対象としては優れている人だと思いますよ。

Posted by おおや at 2007年10月10日 10:56:00


すると私は「現実中心で理念を批判するタイプ」になるのでしょうか。・・・その傾向はあるなぁ。
posted by JSF at 16:05 | Comment(86) | TrackBack(2) | 徴兵制
2007年01月04日
あれは、私がまだ楽天広場でブログを書いていた時(過去ログ一覧)の事です。ReiさんやB-87ことぼたんの花さんと徴兵制をテーマに議論していた時に、この問題に付いての基礎を簡単に纏めておく必要性が有る事に気づき、実行に移しました。

Infoseekにスペースを借りサイトを立ち上げ、徴兵制シリーズの連載を開始したのは2004年春のことです。実はブログではない普通のサイトの運営は初めての事でした。





この徴兵制シリーズは、例によって彼女等を説得する目的ではなく、この問題に関心が無い大勢の人達(特に徴兵制問題の当事者となるであろう、若者に対して)の目に見てもらおうとキャラアイコン対話形式を採用しました。最近は更新していないので位置が落ちていますが、約2年間、Google検索キーワード"徴兵制"でTOPに位置し続けていたので、それなりに大勢の人に読んで貰えて、目的が達成されてたものと思っています。

この徴兵制シリーズは特に斬新な事が書いてある訳ではありません。少しでも軍事について理解がある人ならば、半ば常識と化している物であるとすら言えます。しかしそうであるが故に、軍事に全く関心が無い人達には理解されていない。その事に気付いたからこそ、分かりやすく説明する必要があると感じたのです。

なおその後「ぼたんの花」さんは私との論争の果てに徴兵制採用論者に転向してしまいました。→「平和運動反転方程式」

彼女は最初「ブッシュ共和党が徴兵制復活を画策している!」と主張し、私は「議会に徴兵制復活法案を提出したのは民主党の議員、それも反戦運動をしている黒人議員ですよ?」と返していく過程でこんな事に。実は、反戦リベラル派でもインテリ層(大学教授など)の中には徴兵制採用論が存在します。その事に後から気付いて転向してしまったのでしょう。

そうです、実は今の時代、徴兵制復活を叫ぶ人達は左右両方の陣営に存在します。そして軍人が「徴兵制は現代戦にとって非効率的で不要」と主張するのです。→「改憲案徴兵制禁止明記は陸自幹部の進言」

だから私は、右翼も左翼も両方相手にしてきました。

徴兵制を採用し軍事強国への道を開きたい右翼。
若者を鍛え直す為に教育目的で徴兵制を利用したい右翼。
若者に徴兵制復活の恐怖を煽って護憲運動に繋げたい左翼。
戦争(反戦運動)に関心を持つには徴兵制であるべきとする左翼。
負担平等性の観点から徴兵制により犠牲は皆でと主張する左翼。

全て間違っています。戦争とは勝つ為に効率性が優先されます。勝つ為に不要な物は採用すべきではありません。徴兵制は、現代の状況では非効率なのです。今や先進国の間では徴兵制廃止が時代の流れです。経済大国で唯一徴兵制を残しているドイツも、既に全軍の8割が志願兵で構成されています。それどころかロシアや中国ですら志願制への移行を行う予定です。

単純に、徴兵制は必要がありません。復活する可能性を心配する事は、杞憂です。



・・・その事が、ようやく護憲派にも理解され始めました。


9条変えても必ずしも徴兵制にはならないよ お玉おばさんでも分かる政治の話
お玉は9条を変えてもかならずしも徴兵制になるとは思ってません。というか、そういう話なら国民のほとんどは納得しないでしょ。即、我が身や我が子に降りかかってくることだもの。まあ、そう思うから護憲派でもここを大きく訴える方がいるのでしょうが・・・・

でもこの主張、ちょっと危険な所があって、

じゃあ、改憲するかどうか国民投票をすることになったとき、もしも改憲派が「徴兵制なんて、絶対にあり得ません、なぜならこれだけの理由があります」とキャンペーンをやられたら、たちどころに国民は身に降りかかりそうだった危機感を安心感にすり替えてしまって、「なんだ〜〜〜9条変えてもやっぱりわたしらに関係ないじゃん」と思わせることにつながってしまうとお玉は考えるからです。

はい、そうなります。もしも、ではありません。ここ数年で、徴兵制復活の恐怖を煽って護憲運動に利用しようという目論みは、効果を失ってしまいました。もう日本のネット上では「現代戦争に徴兵制は不要」だと知れ渡ってしまったからです。その流れを作ったのは、Obiekt徴兵制シリーズだったのかもしれません。

私は別に改憲派的な立場から徴兵制シリーズを立ち上げたわけではないのです。護憲派の左翼陣営のみならず、徴兵制復活を主張する右翼陣営にも徴兵制について理解して欲しいと思っています。軍事の基礎知識を多くの人に知って貰いたかった。それだけなんですよ。議論をする上で、基本知識すら理解していない人達とやりあうのは骨が折れますから、それならばまず基本知識を常識となるように世論に認知させてしまえばよい・・・そういう発想なんです。

私が論争で相手にしてるのは論争の当事者達だけでなく、ギャラリーを含めた第3者、そして世論そのもの。だから、私にとって不毛な論争なんて存在しません。論争相手が私の話を理解してくれなくたって構いません。多くの皆が理解してくれるようになれば、それが私の主張の妥当性の証なのだから。

なお、キャラアイコン対話形式が苦手な方は消印所沢氏が纏めている「軍事板常見問題」にある以下の項目を参照して下さい。一部内容が被っていますが。


◆◆◆徴兵 軍事板常見問題 総記FAQ

◆◆◆徴兵関連 軍事板常見問題 USA FAQ

◆◆◆徴兵制関連 軍事板常見問題 日本/自衛隊(JSDF)


この軍事板の初心者質問スレッドから収録されている回答内容なのですが、実は名無しで回答している人の中には私も混じっています。ちょうど深夜に初心者質問スレを見ていたら、総記FAQで紹介されている質問者が来ていて・・・びっくりするほど良いタイミングでした。



ちなみにお玉おばさんのブログの存在を知ったのは、以下の所からです。


9条変えても徴兵制度にならないって本当? カナダde日本語
そんなことを考えていたら、『雑談日記』のsobaさんのAbEndへのTBで、護憲派とされる『お玉おばさんでもわかる政治のお話』のお玉さんが9条変えても必ずしも徴兵制にはならないと言っていると聞いてびっくりしてそのブログに行ってみたら、タイトルからして確かに「9条変えても必ずしも徴兵制にはならないよ」と断言しているのを読んで、久しぶりにビックル一気飲みしちゃったんだけど、この方は日本の憲法には確かに詳しいかもしれないけれども、米国の徴兵制度やイラク戦争の実態、又日本がいかに米国に追従しているのかご存知なのかどうか疑ってしまった。

美爾依(みにー)さん、ありがとう、貴方のおかげでお玉おばさんのブログを知ることが出来ました。 

質問の「9条変えても徴兵制度にならないって本当?」についてですが、本当ですよ。だって採用する意味が存在しませんから。世界の軍隊のトレンドは兵力数を削減しつつ世界展開ですので。
posted by JSF at 03:36 | Comment(464) | TrackBack(8) | 徴兵制
2005年10月08日
労組の方からこんな意見が出て来るとは。


徴兵制否定の連合見解批判 高木新会長のUIゼンセン [10/8 共同通信]
連合の高木剛新会長の出身労組であるUIゼンセン同盟(組合員約83万人)が、憲法や安全保障政策についてまとめた連合の見解に対し、徴兵制導入を否定した点を「あえて表現することは不要」と批判する意見を提示していたことが、連合の内部資料から8日までに分かった。

上は共同通信の記事ですが、産経新聞に配信された同じ内容のものはもう少し詳しく書かれています。

徴兵制否定の連合見解批判 高木新会長のUIゼンセン [10/8 産経新聞]
同見解をまとめる際、自治労など14の産別労組が意見を提示。このうちUIゼンセン同盟は「国民主権を原則とする主権国家の防衛を考えるとき、単純に、徴兵制は採らない、とうたうことは、“自らは戦わない”と表明することになる」と批判した。

ただ「近代戦において徴兵制は、戦力としての効果の面から不採用とすることは理解できる」と述べ、軍事的な観点から徴兵制を導入しないことに理解を示している。

また「厳格なシビリアンコントロール」などを条件に集団的自衛権の行使も可能とするよう求めている。(共同)


黄色太字の部分を理解してくれているとは、本当に驚きました。この辺りのことは徴兵制復活?で書いてきた事と同じです。軍事に詳しい人には常識ですが一般人にはあまり浸透しておらず、特に反戦運動系の人には何度説明しても理解して貰えなかった事が多かったのですが、労組の中の人も色々あるんですね。

一方、実は自民党の方では「憲法に徴兵制否定を明記」することを計画しています。護憲派の「憲法改正すると徴兵制に!」という悪質なプロパガンダに冷や水をぶっかける目的で検討していたのですが、護憲派の内部から冷や水を掛けてくる者が出て来るとは。

これで「近代戦では徴兵制など時代遅れ」だと言うことが広まるのか、それとも「労組が徴兵制の肯定!徴兵制復活は近い」と捻れた方向で広まるのか、様子を見てみることにします。


関連:軍事板常見問題より
【珍説】「日本での徴兵制復活は近い」???
posted by JSF at 22:05 | Comment(56) | TrackBack(3) | 徴兵制