伊勢崎賢治氏はアフガニスタンでのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で大きな功績を上げた人です。NGOや国連職員として世界各地の紛争処理に携わり、「紛争屋」を自称しています。しかし武装解除で兵器と関わっている割には基本的な軍事知識での誤解
(インド洋給油)も見受けられ、また現地武装勢力への異常な肩入れをしている様子は、首を傾げざるをえません。
緊急集会「ペシャワール会・伊藤さんの死を問う」−JanJan
◆伊勢崎賢治(軍閥武装解除の国連ミッションを担当した):
犯人はタリバンではない。タリバンは社会運動。伊藤さん殺害は政治的犯行ではない。事故の意味あいが強い。私はアフガニスタン大使館にいた時から中村さんを畏敬の念で見ていた。「ペシャワール会」の情報収集力は在外公館が束になってかかってもかなわない。そこがやられたのだから事故です。
この部分だけを読んでも、伊勢崎氏の言いたい事が全く理解できません。特に理解できない点が二つあります。
>タリバンは社会運動言っている意味が分かりません。狭義のタリバーンがイスラム神学生だとして、これは広義のタリバーンを意味するのでしょうか。それとも概念的な思想や民族運動の事を指すのでしょうか。しかし伊藤さん拉致殺害事件で問題となるのは狭義の意味でも広義の意味でも無く「組織集団としてのタリバーン」の筈です。
そもそも「社会運動」だとして、それがどうしたんです? 例えば「共産主義は社会運動」だとして、それで共産主義過激派のゲリラ活動が許されるわけではありません。単にそれだけでは何の免罪符にもならないでしょう。
>「ペシャワール会」の情報収集力は在外公館が束になってかかってもかなわない。そこがやられたのだから事故です。誘拐殺人事件を「事故」と言い張る感覚が全く理解できませんし、事故だとする根拠が無茶苦茶です。このような理屈が言えてしまうなら、こうも言えてしまう筈です。
『「CIA」の情報収集力は各国情報機関が束になってかかってもかなわない。そこがやられたのだから事故です』
CIAとてまるで万能ではないどころか、幾つもの失態を重ねてきた事は周知の通りです。ですがその情報収集能力は各国情報機関が束になって掛かってきても敵わない実力を有している事は事実です。ならばペシャワール会の情報収集能力が幾ら凄かろうと、それを過信してはいけない筈です。それなのに「そこがやられたのだから事故です」などという主張は非常に危ういものを感じます。そのような理屈は全く通らないし、そんな事で事件から何も教訓を活かそうとしなければ「事故」は何度でも連続して起こり得るでしょう。
また、「犯人はタリバンではない」と言い張る事にあまり意味があるとは思えません。タリバーンのムジャヒド広報官は
「我々が拉致したのだから責任は我々にある」と伊藤さん殺害の責任を認めています。それ以外の声明でも繰り返し犯行の指示を認め、最終的な首謀者は自分達であると宣言しています。拉致殺害実行グループの首謀者と目されるアフマド容疑者を捕まえてみない事には事件の真相は分かりませんが、1つだけ言えることがあります。タリバーン自身が犯行を認めた以上、それが事前だろうが事後だろうが、タリバーンは伊藤さん殺害の責任を背負いました。仮に殺害犯がタリバーンとの関連性が薄かったとしても、タリバーンは"組織として"伊藤さんの殺害を肯定してしまったのです。その事を伊勢崎氏も中村哲医師も認めようとしていない気がします。
これは単なる事故。誰もペシャワール会を批判はできない|ビデオニュース・ドットコム
伊勢崎氏は、アフガニスタンで日本のNGOとしては群を抜いて実績も経験も豊富なペシャワール会のスタッフが、このような不幸な事件に巻き込まれたことを悔やむ一方で、今回の事件は単なる事故であり、これを理由にアフガンの人々に貢献するNGO活動を批判するようなことがあってはならないと語った。
「ペシャワール会を批判するな」、と言うのと同時に、「タリバーンを批判するな」、と言っているのに等しい異常な弁護の仕方(「今回の事件は単なる事故だ」)である事に、気付いているのか気付いていないのか・・・最初から確信的にやっている主張なのかも分かりません。「タリバンは社会運動」と言い出している事からも、タリバーンに何らかの幻想を抱いている可能性が高いです。タリバーンに対し自分の勝手な期待の押し付けを行っているのではないでしょうか。
何故、誘拐殺人事件を「事故」などと言えてしまうのでしょう。何故、殺害犯を非難しないのでしょう。何故、殺害を肯定したタリバーンを非難しないのでしょう。まるで理解できません。
果たして「タリバンは社会運動」とは、何を指すのでしょうか。
●中村哲氏の語るタリバン 2007.10.21(日) サンデー・モーニング TBS
中村医師) アフガン農民そのものが武装勢力であるということを皆忘れていると思います。で、しかもタリバン、タリバンというけれども、このタリバンというのは土着のいわば国粋主義運動である、ということは、アフガン農民なら誰でもがタリバン的な要素があるということ。テロリスト集団とひとまとめにして言われますけれども、実際には人々の心に訴えるなにものかを持っているわけで、殆どの民衆はそれを支持しているんですね」
治安回復のための戦闘、増える兵士と民間人の犠牲、その連鎖の中でアフガニスタンの状況は難しい局面を迎えています。
関口) 中村さんがおっしゃるようにタリバンがテロリストを指すものという狭い捕らえ方ではなくて、タリバンってもっと沢山いるということでしょう、全部がテロリストじゃありませんよと。
伊勢崎賢治 東京外大教授) 違いますね、特に南東部では、中村先生がおっしゃったことはまったく真実でありまして、タリバンというのは裾野が大きいんですよね。
だから、南東部のパシュトゥン族の地域では全員タリバンといっても過言ではないですよね。
1年前、中村哲医師も伊勢崎氏も、広義のタリバーンを徹底的に拡大解釈し「あれもタリバンこれもタリバン」とタリバーンは草の根的にアフガン民衆に根付いている、「南東部は全員タリバンだ」とまで伊勢崎氏は言っています。そして中村哲医師の言う「土着のいわば国粋主義運動」というのが伊勢崎氏の言う「社会運動」なのでしょう。これで大体、分かりました。彼らの言う「広義のタリバーン」とはパシュトゥン民族運動とタリバーンをゴチャ混ぜにしています。
<アフガン拉致殺害>中村医師が遺体検分 悲しみこらえ|毎日新聞 8月28日
反政府武装勢力のタリバン報道官を名乗る人物が、犯行を認めていることについて、中村さんは「拉致グループはタリバンではない。タリバンがこんなことをするはずがない」と話した。
「我々が言うタリバンとは、マドラサ(イスラム神学校)でちゃんと教育を受けた、礼儀と道理を身につけた者を言う。しかし、9・11(01年の米同時多発テロ)後、偽タリバンが増えた。彼らは本当のタリバンではない」
タリバンが拠点とするアフガンとパキスタン国境地域で、ハンセン病治療や井戸掘りなどを20年以上続けてきた。国際的な非難を浴び孤立するタリバンとその母体のパシュトゥン民族を支え、タリバン側からも一定の理解を得ていると自負してきた中村さんの、タリバンへの「最後のメッセージ」にも聞こえた。【カブール栗田慎一】
栗田慎一;「国際的な非難を浴び孤立するタリバンとその母体のパシュトゥン民族を支え、タリバン側からも一定の理解を得ていると自負してきた中村さんの、タリバンへの「最後のメッセージ」にも聞こえた。」
アフガニスタンは人口構成の45%をパシュトゥン人が占めますが、タジク人は32%を占めており、他にハザラ人やウズベク人、少数ですがトルクメン人もいる多民族国家です。だからパシュトゥン人の事だけを支えた所で、アフガニスタン全体のことを支えている事にはなりません。中村哲医師や伊勢崎氏の主張は、パシュトゥン以外の他民族の事を考慮するものがあまり見受けられません。
中村哲;「我々が言うタリバンとは、マドラサ(イスラム神学校)でちゃんと教育を受けた、礼儀と道理を身につけた者を言う。」
1年前は「あれもこれもタリバン」と言っていたのに、伊藤さんが殺害された途端に狭義の意味に限定してくるのは、あまりにいい加減すぎると言うか・・・しかし結局、
「伊藤さん誘拐犯は純タリバーンと判明」することになり、中村医師の苦しい主張は破綻します。
中村哲医師は「(タリバーンは)人々の心に訴えるなにものかを持っているわけで、殆どの民衆はそれを支持している」という主張は、タリバーンを美化し過ぎている嫌いがあります。中村哲医師に心酔している様子の伊勢崎賢治教授にも同じことが言えます。タリバーン寄りの立場で主張する、それ自体は問題がありませんが、おかしな理屈を振り翳してまで擁護する事は決してアフガニスタンの民衆の為にはならない筈です。