文藝春秋「諸君!」2008年4月号に、三菱リージョナルジェット計画に対する批判記事が載っています。執筆者は軍事ジャーナリストの清谷信一氏。内容は「MRJプロジェクトは挫折する」と批判的な内容で、「トヨタの方が成功する!?」と、三菱がやるよりもトヨタやホンダがやった方が成功するだろうとしているのですが、当のトヨタはつい最近、MRJプロジェクトに参加すると発表、清谷氏の言説はプチ【逆神】としての要素を発揮しつつあります。
なおリージョナルジェット(地方都市間を結ぶジェット機)とは100人乗り未満の小型旅客機を指し、航空大手のボーイングやエアバスのラインナップには無い存在の為、中小新興メーカーに参入の余地があり、近年注目を浴びているセグメントです。カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルの二社が先行して市場を占めており、これにドイツのドルニエが参入しようとしてその前に倒産。それ以外ではロシアと中国が計画を進めており、日本の三菱が続こうとしています。
さて、問題はこの「諸君!」記事内容についてです。軍事ジャーナリストが書く航空記事として、決してやってはならないレベルの間違いが幾つか散見されるのですが、特に問題がある部分を紹介しておきます。引用元は「諸君!」 4月号 p140〜p150、「国産旅客機開発のために「挙国一致体制」を確立せよ」、清谷信一氏の執筆した記事からです。
諸君!:国産旅客機開発のために「挙国一致体制」を確立せよ (p146)
昨年7月3日付けの日経新聞1面は自衛隊機の民間転用について「競合するボーイング、欧州エアバスが旅客機を転用しているのに対し、トラックをそのまま積めるなど積載能力が高い」と報じているが、現在の航空貨物はその殆どが規格化されたコンテナないしパレットで輸送される。誰が好き好んで貨物本体よりも大きく嵩張るトラックごと空輸しようか。そもそも軍用輸送機であるCXは民間機と比べて頑丈につくられており、その分生産コストも高い。また高翼機であるので低翼の旅客機を転用した輸送機に比べ速度が遅く、燃費も悪い。故に傑作軍用輸送機であるC-130ハーキュリーズやC-17グローブマスターVなども殆ど民間に転用されていない。経済専門紙がこのような与太を1面に掲載してはいけない。
新明和工業のUS-2は現用のUS-1Aの後継で、世界にあまり例のない海自独自の最新鋭の大型飛行艇である。海自の1機あたりの調達コストは約70億円であり、おいそれと消防や民間で出せる価格ではない。実は海自にしてもUS-2を調達する必要性は低い。そもそも軍が救難用に飛行艇を運用しているのは我が国だけである。他国はこのような任務にはヘリコプターを使用している。米軍ですら装備していない贅沢な(あるいは必要性のない)機体を装備する合理的理由は見あたらない。
まず前半部分の航空自衛隊次期輸送機CXの件についてですが・・・信じられません、軍事ジャーナリストがCX最大の特徴を知らないだなんて、有り得ない話です。
CX最大の優位点は民間航空路を使用可能な高速性にあります。CXの巡航速度はマッハ0.8を超えており、現行の旅客機ボーイング767や737と同程度以上の速度を達成しています。防衛省は以前からCXについて、民間航空路を使用可能な高速力である事を公表しています。そしてこのコンセプトの先見性は、アメリカ軍の新型中距離輸送機計画AMC-Xの仕様要求に、民間航空路への対応、つまり高い巡航速度が盛り込まれたことからも分かる筈です。
これまで軍用輸送機は高翼配置で胴体が太く、速度が遅いものでした。高翼配置は床面を広く取るためで、低翼配置では床面設計に主翼桁構造を考慮する必要があるのに対し、自由な設計が出来ます。代償として高翼では主翼に降着装置を設置しようとすると脚が長くなりすぎるので、胴体横に張り出し部分を設けて降着装置を取り付ける必要が出てきます。太い胴体に張り出し部分の存在は空気抵抗の増大を意味し、必然的に速度は遅くなる・・・ここまでの説明は良いでしょう。
ですがCXは1クラス上の強力なエンジンを搭載する事により、高い巡航速度を達成しました。これは軍用輸送機史上でも初の試みであり、そのコンセプトの正しさはアメリカですら続こうとしていることで証明されています。確かに空気抵抗の大きさはそのままですから、燃費はスマートな旅客機ベースの機体に比べれば悪いでしょう。ですが機体容積は大きいので燃料タンクも大きく、航続力に不足はありません。燃費面での経済性の悪さは、規格外の嵩張る大型特殊貨物を輸送できる能力との代償であり、そういった輸送のニーズがあれば存在していける可能性があります。アントノフAn-124ルスランという大型の軍用輸送機が民間転用され、規格外の特殊貨物輸送で活躍している事を忘れてはなりません。現在の航空輸送の殆どが規格化されたパレットやコンテナ輸送であるからこそ、規格外の荷物を輸送する際の選択肢が少なく、新規参入の余地が有ります。数はそう売れるものではないですが、ニッチ需要に入り込める条件は存在します。
しかし清谷氏は規格外貨物の輸送ニーズについて全く言及しておらず、日経新聞がトラックをそのまま積めると書いた事を曲解し、以下のように述べています。
清谷:「誰が好き好んで貨物本体よりも大きく嵩張るトラックごと空輸しようか」
まさか、貨物列車のピギーバック輸送と混同するとは・・・日経新聞がトラックをそのまま積めると書いたのは、後部ランプ・ドアを使い車両が自走でそのまま搭載できる、という意味です。例えば規格外貨物が輸送できる輸送機の中で、An-124なら同様に車両を自走させて積み下ろしが出来ますが、A300-600STではそのような真似が出来ません。日経新聞は川崎重工の説明の通りに記事にしただけであり、別に「貨物をトラックに積んでそのトラックごとCX輸送機で運ぶ」等とは書いていません。「トラックをそのまま積める」としか書いていないのに、勝手に「貨物をトラックごと空輸」と勘違いした清谷氏の勇み足です。
清谷:「経済専門紙がこのような与太を1面に掲載してはいけない」
おいおいマジで・・・いやその、↑コレどう突っ込めばいいんだろう。
では後半部分の救難飛行艇に関する話です。清谷氏は「救難飛行艇など使わずにヘリコプターを使え」と説いていますが、一体どのクラスの救難ヘリと比較してるのでしょうか。カナダ軍が救難用に購入したアグスタウェストランドEH101は機体単価1億ドルを超えており、救難飛行艇US-2と同程度以上の価格がした筈です。アメリカ空軍の次期救難ヘリCSAR-XはボーイングHH-47に決まりましたが、価格は競合機種のEH101より安かったとはいえ、それに近い価格です。第一、航続力や進出速度では飛行艇とヘリコプターは比較になりません。
また清谷氏の飛行艇に対する「米軍ですら装備していない贅沢な(必要性の無い)機体」という認識は誤っています。というのも、飛行艇はロシアが装備しており、決して贅沢な装備などではないからです。
(追記説明;ロシア軍とウクライナ軍はベリエフBe-12チャイカ飛行艇の救難型を運用中)ロシア非常事態省はジェット救難飛行艇ベリエフBe-200アルタイルを運用していますし、ロシア海軍は以前、ジェット哨戒飛行艇ベリエフA-40アルバトロスを20機発注しており、それは資金難で実現していないのですが、昨今の原油高によるロシア財政の復活により、再び採用される可能性が出てきています。
(追記説明;A-40の捜索救難型A-42の採用が決定)アルバトロスは潜水艦と火事のハンターだ - ノーボスチ・ロシア通信社A-40とBe-200は元の設計を流用した兄弟機です。Be-200旅客機型は、過去に日本に対し、小笠原諸島への航空路に提案された事もあります。
それでは最後に、清谷氏の記事の最後に近い部分から、一体今まで書いてきたことは何だったのだろうと脱力全開する部分の紹介です。
諸君!:国産旅客機開発のために「挙国一致体制」を確立せよ (p149〜p150)
リージョナルジェットの国産開発にしてもほかにやりようがあったろう。例えばPXへの転用を前提にすれば、かなりの開発費及びリスクを減らすことができたはずである。PXのエンジンは4発で、旅客機としては運用コストの安い2発の方が適しているため主翼の再設計が必要であるが、それでも単独開発よりは格段に安く上がる。実際、PX開発に際してはそのような構想も存在した。
対潜哨戒機PXの民間旅客機転用を目的としたYPXという案は実際にあります。小型民間輸送機等開発調査という名目で検討されているのですが、しかし清谷氏の言うようなリージョナルジェットとの関連性は有りません。何故なら、大きさのクラスそのものが違うからです。PXはボーイング737と同クラスの大きさの機体であり、リージョナルジェットはその下のサイズです。その差は重量で倍近くに達し、リージョナルジェットのサイズで対潜哨戒機を作ろうとすれば、従来機のP-3C哨戒機よりも性能の低いものが出来上がります。リージョナルジェットサイズの対潜哨戒機は小さ過ぎ、PXサイズの旅客機はもはやリージョナルジェットではありません。リージョナルジェットとPXを纏めようなど、誰も思わなかったでしょう。
またPXのサイズが737と同クラスである以上、YPXはボーイングやエアバスがこれから繰り出す737後継機と勝負する事になり、MRJよりも成功する確率は遥かに低くなります。確かにPXは対潜哨戒機としては成功作となるでしょう、アメリカ軍の次期哨戒機P-8Aが開発費高騰で失敗プロジェクトと化している事を尻目に、安い開発費と機体単価を達成したPXですが、民間旅客機として売れるかどうかは懐疑的です。防衛調達で成功している以上、民間販売はオマケで、別に売れなくても構わない態度で行うなら好きにすればよいかもしれませんが、日本の航空産業の将来を掛けたプロジェクトとするには冒険的に過ぎます。
つまり清谷氏は、リージョナルジェットが何なのか、PXの機体サイズがどれだけなのか、よく理解していないのでしょう。清谷氏は記事の146ページでも「PX旅客機転用はMRJと競合する」と書いているのですが、最初にこれを読んだ時は「政府支援の資金面で競合する」という意味に解釈していましたが、上記の149〜150ページ引用部分を見て、PXとMRJを機体サイズですらゴッチャにしていることがよく分かりました。これでは軍事雑誌や航空雑誌に掲載することなどとても出来ないレベルで、「諸君!」のような航空技術に無知な編集部の雑誌でしかチェックを通らない筈です。この記事を読んだ読者層も詳しい人は殆どいないわけですから、内容をそのまま信じ込んでしまいかねず、問題があります。
CXの件にしろUS-2の件にしろPXの件にしろ、軍事ジャーナリストがこのような記事を雑誌に掲載してはいけません。航空や軍事の専門誌ではないから編集のチェックは入らない、だからといって好き勝手に与太を飛ばして良い筈が無いでしょう。
三菱や日経新聞が文藝春秋社に抗議してきたら、一体どのように言い訳するつもりなのでしょうか?
なおこの件は別方面からのアプローチでCHF氏も記事にしています。そちらもご覧下さい。
■再び民間転用の話 - CHFの日記